1971/07 - 1971/07
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factory38さん
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1971年7月に旧ソ連極東地方を訪れた。当時のモノクロ写真とメモから旅行記を作ってみた。
福井県敦賀港からソ連極東汽船のジェルジンスキー号(5400トン)で出発。ジェルジンスキーといえばKGB創設者で秘密警察の親玉。なんという名前をつけるのか、という感じだが…。写真はソ連商船公社のパンフレットからスキャンした同船。
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敦賀出港の翌日夕方にナホトカ港へ上陸(当時はソ連極東艦隊の母港であるウラジオストクはまだ閉鎖都市だった)。港の埠頭には黒塗りのボルガがすらり。役所関係だろうか。ボルガは2.5リッターの高級車でスタイルはシボレーシェビーやフォードファルコンに似ていた。両替は10米ドルが8ルーブル95カペイカ(当時は1ドルが360円の固定相場だから1ルーブルが約400円、1カペイカが4円)。
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ナホトカ駅からシベリア鉄道の寝台車で午後8時出発。1コンパートメント4人で向かい合わせの座席が2段ベッドになる。東ドイツ製の車両は手入れも良い。食堂車の朝食はパン、バター(美味)、牛タン、卵2個、グリーンピース、紅茶とメモにある。各車両にいる車掌は英語学校の学生がアルバイトをしているとか。笑顔が美しかった。
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15時間かかって列車は翌午前11時、ハバロフスク駅着。レーニン広場に面したツェントラーリナヤホテルへ。ホテルは各階に受け付け?の中年女性が机の前でがんばっている。行動を監視されているようで感じが悪いが、時には用事で席を外した母親の「穴埋め役」なのか小さな女の子が座っていることもあって、これはほほえましい。郵便局で絵はがき購入。1枚4カペイカ。ホテルの夕食は果実入りの紫色ジュース、バターパン、ハム、肉、フライドポテト、豆、キューリ、キャベツとメモにある。ハバロフスク中心部に観覧車があり、夜は若者でにぎわう。料金は10カペイカ。街角の自動販売機でレモネード3カペイカが人気。
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駅前へ行こうとタクシーをつかまえる。オンボロのボルガ。シートも破れている。メータの基本料金は10カペイカで1キロきざみに上がる。駅まで38カペイカ。スーパーのような店で固形紅茶を買う。写真は市内のアムール川。川幅16キロはさすがに広い。中国国境はすぐそこだ。2年前にはダマンスキー島で両国軍隊の国境紛争が起きている。
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イルクーツクへ飛ぶためにハバロフスク空港へ。写真は沿道で見かけた庶民の交通手段。空港の古いターミナルビルの窓から見えるだだっ広いエプロンにはもちろんアエロフロートの機体だけが並ぶ。古いプロペラ機から最新のイリューシンIL62まで。遠くに軍用らしい輸送機やヘリコプターも見えるが空港内の写真撮影は厳禁(ちなみに鉄道の駅や分岐点も撮影禁止だった)。イルクーツク行きは午後2時25分発の予定だが天候のせいで遅れる。古いツポレフTU104(世界最古のジェット旅客機のひとつで爆撃機を改造したもの)は午後3時15分に離陸。午後6時半に着陸したが、そこはイルクーツクではなく、ほぼ中間地点のチタ空港。狭い空港ロビーで説明もなく3時間待たされて今度は小さな双発プロペラ機アントノフAN24に乗り換え。ロシア人も含めた乗客は2機のAN24に案内されるが、機内はまるで田舎のバス。パイプいすだ。離陸して高度を上げはじめると与圧が不十分らしく耳に激痛が走る。座席の上のフレッシュエア吹き出し口から白い霧が吹き出す。ひどい嵐の中をもみくちゃにされて1時間半、イルクーツク時間で午後10時に着陸。アンガラホテルへ着いたら嵐のため停電。
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イルクーツクの市内を観光。古い美しい街。京都のようなたたずまいを感じる。ギリシャ正教の美しい教会がいくつもある。なかでもズナメンスカヤ教会は膨大なイコンが目を奪う。
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バイカル湖へ。アンガラ川から宇宙船のような形をした水中翼船に乗って1時間あまり。湖の南端に近い村へ上陸。湖沼学研究所でバイカル湖の説明を聞く。淡水湖では世界最大で透明度も世界一。地球上の淡水貯水量の5分の1がこの湖とか。水温は最高でも12度。足をひたしたらさすがに冷たかった。写真は相当にデフォルメされたバイカル湖とアンガラ川の地図。
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シベリア開発の最前線都市・ブラーツクへ。午前7時45分発の予定だった飛行機がまたしても「天候の都合」で遅れる。イルクーツク空港で待っていたのは軍用輸送機をそのまま旅客機にしたようなずんぐりしたプロペラ4発のアントノフAN10A。11時半にやっと離陸。新しくはない機体だが機内はゆったりして音も静か。客席後部には偵察用?のバブル・ウインドウまであって景色をながめるには最適。
地平線まで続くようなタイガの上を飛ぶ。森を切り開いた空き地にミサイルらしき先鋭な物体がちらりと見えてどきっとする。撮影は禁止。1時間でブラーツク空港に到着。ブラーツクは17世紀から開拓民が住み始めたといわれ、1950年に鉄道が開通し54年に水力発電所建設が始まると一気に人口が増え始めた。製材所やアルミ加工、鉄鉱石の精錬などを行う工場があり、1955年に1万5000人だった人口が1971年の時点で19万人。住民の平均年齢30歳と若いため子どもの数も非常に多く、託児所が78カ所もある。ホテルの夕食は午後8時からだが緯度が高いため外はまだ完全に昼間。暗くなるのは午後11時過ぎ。そんな時間でも外は人々でにぎわっている。写真は午後8時頃のブラーツク市街。 -
ブラーツクダムの水力発電所は出力410万キロワットで当時は世界最大級。アンガラ川(やがてエニセイ川に合流して北極海へ至る)をせき止める堰堤の長さは5キロもあるという。ダムでせき止められて生まれた湖はブラーツク・モーリエ(ブラーツク海)と呼ばれ、住民の憩いの場。定規をあてたようにまっすぐ伸びる針葉樹の森と澄んだ水をたたえる湖はすばらしい。
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