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エルミタージュ美術館は冬宮(ロマノフ王朝歴代皇帝の正規の宮殿)を中心とした5つの建物で形成されている。<br />5つの建物とは、冬宮(建設1754〜1762)、小エルミタージュ(建設1764〜1775)、旧エルミタージュ(建設1771〜1787)、新エルミタージュ(建設1784〜1864)、エルミタージュ劇場(建設1783〜1786)である。<br />エカテリーナ2世(1729-1796在位1762-1796)は、美術品の蒐集に極めて熱心で、小エルミタージュが美術館発生の地。<br /><br />エルミタージュ美術館は、パリのルーブル美術館、ニューヨークのメトロポリタン美術館と並び世界三大美術館、あるいは、大英博物館、ルーブル美術館と共に、三大博物館とも言われる。<br />規模は大きく、350室に1万5千点の絵画、1万2千点の彫刻、60万点の素描、60万点の歴史的遺物を所蔵。(一説には300万点の美術品)<br /><br />しかし、今回主として絵画を見たのだが、大きな期待があったためか、少し物足りなさを感じた。<br />それが何故なのか充分に判らないが、例えば印象派の蒐集レベルかも知れないし、ロシア画家が見られなかったからかも知れない。<br /><br />一方ここは20世紀における革命、ソビエト連邦成立の、中心的存在であることを忘れてはならない。<br />1905年「血の日曜日事件」始まり、1917年2月革命後の拠点、1917年10月革命の中心、1918年ニコライ2世一族の処刑、第二次大戦でのドイツ軍による包囲、戦後スターリンによる大量粛清など、歴史的事件には事欠かない。<br /><br />冬宮は、夏宮と並んでイタリア人ラストレリ(1700-1771)がデザインした、バロック様式。<br />一番の見どころは、華麗なファサッド。<br />小エルミタージュは、エカテリーナ2世が美術館として冬宮の東隣に建築し、エルミタージュ(隠れ家)と名付けた。<br />美術館と言っても、一般に公開されたものではなく、彼女は「名画を鑑賞しているのは私とネズミだけ」と書いている。<br /><br />旧エルミタージュは、さらに増えた美術品の保管のため、小エルミタージュのさらに東隣に、同じくエカテリーナ2世が建てた。<br />引き続いてその東に建てられたエルミタージュ劇場は、女帝自身の制作による演劇が上演された。<br />五つ目の建築、新エルミタージュは、旧エルミタージュに接し、宮殿広場に面しており、1852年美術館として公開。<br />ただし、入館には宮内庁の許可を必要とし、はじめの頃の入場者数は、年間数百人に過ぎなかった。<br />比較的自由に入館できるようになったのは、1863年からと言われる。<br /><br />ドイツによるレニングラード(現サンクトペテルブルグ)包囲は、1941年9月から1944年1月までの約900日間。<br />市民の3分の1は(内半数は餓死)死んだと伝えられる。<br />しかしエルミタージュの美術品は、ウラル山脈のエカテリンブルクに疎開し、ほとんど無事だった。<br /><br />第二次大戦中の被害は戦後半世紀以上かけて修復され、2003年にはサンクトペテルブルグ300年記念祭が、各国首脳を招いて盛大に開かれた。 <br /><br />エルミタージュ美術館は、所蔵品のデータベース化を開始し、インターネット上で公開している。<br />

ロシア【8】エルミタージュ美術館(冬宮)

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2004/07 - 2004/07

1784位(同エリア1811件中)

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ソフィ

ソフィさん

エルミタージュ美術館は冬宮(ロマノフ王朝歴代皇帝の正規の宮殿)を中心とした5つの建物で形成されている。
5つの建物とは、冬宮(建設1754〜1762)、小エルミタージュ(建設1764〜1775)、旧エルミタージュ(建設1771〜1787)、新エルミタージュ(建設1784〜1864)、エルミタージュ劇場(建設1783〜1786)である。
エカテリーナ2世(1729-1796在位1762-1796)は、美術品の蒐集に極めて熱心で、小エルミタージュが美術館発生の地。

エルミタージュ美術館は、パリのルーブル美術館、ニューヨークのメトロポリタン美術館と並び世界三大美術館、あるいは、大英博物館、ルーブル美術館と共に、三大博物館とも言われる。
規模は大きく、350室に1万5千点の絵画、1万2千点の彫刻、60万点の素描、60万点の歴史的遺物を所蔵。(一説には300万点の美術品)

しかし、今回主として絵画を見たのだが、大きな期待があったためか、少し物足りなさを感じた。
それが何故なのか充分に判らないが、例えば印象派の蒐集レベルかも知れないし、ロシア画家が見られなかったからかも知れない。

一方ここは20世紀における革命、ソビエト連邦成立の、中心的存在であることを忘れてはならない。
1905年「血の日曜日事件」始まり、1917年2月革命後の拠点、1917年10月革命の中心、1918年ニコライ2世一族の処刑、第二次大戦でのドイツ軍による包囲、戦後スターリンによる大量粛清など、歴史的事件には事欠かない。

冬宮は、夏宮と並んでイタリア人ラストレリ(1700-1771)がデザインした、バロック様式。
一番の見どころは、華麗なファサッド。
小エルミタージュは、エカテリーナ2世が美術館として冬宮の東隣に建築し、エルミタージュ(隠れ家)と名付けた。
美術館と言っても、一般に公開されたものではなく、彼女は「名画を鑑賞しているのは私とネズミだけ」と書いている。

旧エルミタージュは、さらに増えた美術品の保管のため、小エルミタージュのさらに東隣に、同じくエカテリーナ2世が建てた。
引き続いてその東に建てられたエルミタージュ劇場は、女帝自身の制作による演劇が上演された。
五つ目の建築、新エルミタージュは、旧エルミタージュに接し、宮殿広場に面しており、1852年美術館として公開。
ただし、入館には宮内庁の許可を必要とし、はじめの頃の入場者数は、年間数百人に過ぎなかった。
比較的自由に入館できるようになったのは、1863年からと言われる。

ドイツによるレニングラード(現サンクトペテルブルグ)包囲は、1941年9月から1944年1月までの約900日間。
市民の3分の1は(内半数は餓死)死んだと伝えられる。
しかしエルミタージュの美術品は、ウラル山脈のエカテリンブルクに疎開し、ほとんど無事だった。

第二次大戦中の被害は戦後半世紀以上かけて修復され、2003年にはサンクトペテルブルグ300年記念祭が、各国首脳を招いて盛大に開かれた。

エルミタージュ美術館は、所蔵品のデータベース化を開始し、インターネット上で公開している。

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