1975/02 - 1975/02
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片瀬貴文さん
出発を前にして、私は悩んだ。
これほどの深い悩みは、生まれてこの方、初めての体験かもしれない。
私は、それまでの経緯からザイールに行かざるを得なくなったが、出来れば赴任を断りたかった。
その大きな理由は二つある。
第一に、プロジェクトそのものの有効性に、疑問があったこと。
ザイール内陸部と大西洋を結ぶ鉄道は、内戦で機能していないとはいえ、隣国アンゴラを通過してロビト港に至る線がすでにある。
鉱物資源の積み出しならば、タンザニア通過のインド洋ルートも使える。
自国内通過ルートが欲しいと言っても、地域紛争の絶えない、この国自体の安定度は十分だろうか。
国内横断鉄道が、地域間の協調を高めるとの説は、アンゴラの例から見て本当だろうか。
ザイール河を渡る橋ならば、マタディなんかに世界一の鉄道橋を作るより、キンシャサと対岸コンゴ(元仏領コンゴ)の首都ブラザヴィルを結ぶべきではないだろうか。
ただしもうひとつ長い視点で見れば、ザイールの発展のためには効果のあるプロジェクトであり、問題なのは投資順序なのだろう。
しかしこんなことに私が気付きだしたのは、ザイールプロジェクトがうまく行かず、私の赴任が囁かれ始めてからで、1972年調査報告書を作った時点では、私自身「このプロジェクトは推進すべし」と主張していたのだ。
いわんやその後3年間の経緯を見るとき、内外の反響を考えて、いまさら消極論は出せない。
そこで私の考えた方策は、積極推進の姿勢をとりながら、日本の協力姿勢の幅を広げ、同時にこのプロジェクトの急速な進展を抑え、粘り強い長期作戦に変えることだった。
要するに三年前の自分を否定することである。
この方策は誰にも相談できない内容であり、独り悩むことになる。
当時日本のODAはまだまだ発展中の段階にあり、年間数億ドルに過ぎず、アジアにおける戦後補償主体のレベルだった。
行政機関の責任体制も未発達で、ODAの長期戦略は見えていなかった。
三年間に、石油ショックで、世界の経済環境は大きく変わった。
先頭に立って推進してきた日本商社の挙動にも、ブレーキがかかりつつある。
日本のゼネコンは、後ろ向きの姿勢をはっきりと示してきている。
今このプロジェクトを支えるものがあるとすれば、これまで積極的に推進してきた者としての面子だけかも知れない。
それは、国鉄技術陣営の一部であり、かつて私が、その先頭に立っていたのだ。
あるいは今も、立たされているのだ。
進むことよりも退くことが難しいという。
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