1970/06/17 - 1970/06/17
12751位(同エリア16401件中)
片瀬貴文さん
当時のパリは、アルジェリア独立運動のテロが盛んで、毎日のように街角で、プラスチック爆弾が人を傷つけていた。
ミュノスさんとの話題は、初めはそんな町の出来事の情報交換程度だったが、次第にお互いの身の上話や人生論にまで進展した。
彼はカタロニアの生まれで、それを誇りとしていた。
ローマ法王の守衛を長年勤め、いまだに独身を通している。
南仏セートに別荘を持ち、シーズンには貸し部屋からの収入があがるので、生活には困っていない。
セートの町は詩人ポール・ヴァレリィの生地。
地中海に面した小さな丘の町で、丘に広がる墓地が町を二分しているという。
南欧人らしく性格が明るく陽気で、人生を肯定的に考えている。
そのあたりが、お互いに気が合う理由らしい。
だから私が外国暮らしの孤独感にさいなまれるようなとき、彼は願ってもない話し相手である。
その上、単なる話し相手だけでなく、スペイン語の先生でもあれば、ヴィヴァルディの「四季」について一家言を持つ、音楽論の教授でもあった。
彼は6区の商店街にある、中庭に面した静かなアパートに住んでいた。
「ぜひやって来い」の誘いを受け、ある日出かける。
遠くの子供の遊び声を背景に、南仏産の太陽の香りがいっぱいの甘いデザートワインを傾け、ステレオに聴き惚れるのが、彼にとっての至福の時間である。
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この旅行記へのコメント (1)
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- ayakoさん 2021/01/16 10:01:52
- 60年前も、パリの街はテロが頻発していたのですね。
- 私が半年お世話になったアパルトマンの女性は、アフガニスタンの方でした。アメリカによって人生が変わってしまったそうです。
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