1970/06/12 - 1970/06/12
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片瀬貴文さん
「せっかくの機会だから、一年間はここに居たい」
と私は申し出た。
なぜ一年間か。
それは、四季を体験してこそ、その風土が理解できると考えていたからである。
「気持ちはよく分かります。しかしそれができるかできないかは、あなたの努力次第です」
彼女の反応は冷たい。
しかし要は、「受入先を自分で探せばよい」ということなのだ。
そう考えれば「期間の延長は相成らぬ」と言われるより、よほど好意的である。
その後彼女とは、留学生のあり方や東洋人観などにつき、かなり突っ込んだディベートの機会が何度もあって、次第にお互いに理解が深まり始め、週一回定期的にリュクサンブールのカフェで出会って、日本語のレクチャーをするまで仲良くなる。
彼女はお父さんが仏領インドシナに長く勤務した経験があり、東洋への関心が深い。
その間期間延長については、彼女も前向きに受け入れ先を探してくれるようになり、紆余曲折はあったが、結局一年間と言う目標は実現した。
最後には「もう一年延長しては」と誘われたが、こんどは私の方が辞退することになる。
フランス政府からの給費は、月当り750フラン(150ドル相当)。
当時日本での私の給料が100ドルだったから、ずいぶん多いように感じられるが、物価が高いのでたいした額ではない。パリでは大学卒の初任給程度だろう。
私は生活費を少しでも節約して貯金をし、ヨーロッパ各地を見て回る費用に当てたいと思っていたので、ますます楽ではない。
結局一日の宿代を含む生活費を2ドルにおさえようとして、ほぼ達成できたのだが、せっかくパリに住みながら、オペラやコンサートには滅多に行くことができなかった。
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