1980/10/01 - 1980/10/14
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ajiajiroさん
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今からおよそ25年前の1980年、昭和ですと55年のことでした。第一回○□県青年の船訪中団に参加したときの記録をご紹介します。
当時、中国の自由旅行はまだ、解禁されていない時代で中国旅行をするには、いわゆる中国の公式機関からの招聘状をもらって友好訪中団などの形をとる必要がありました。
この旅行記には一部、私以外の他の団員の撮影した写真も入っていることをお断りしておきます。
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「青年の船」の名前の通り、県内の20歳から40歳までの青年男女354名と役員・指導員、その他関係者と総勢約400名が参加しました。 -
10月1日の午後1頃、秋晴れの空の下での出航の様子です。
五色のテープの飛び交う中、期待に胸をいっぱいにしてのさんふらわあ7の船出でした。 -
全行程は14日間
鹿島港を出港して3日かけて上海へ
上海で2日間参観、訪問活動
船で天津へ2日かけて移動
天津・北京で3日間の参観、交流活動
船で帰国の途へ 4日目の朝、晴海埠頭着 -
海原をゆく。
のんびりとした良いお天気でした。 -
4日目の朝、目が覚めると上海港に到着していました。
入国審査も特別扱いで中国の係官が船のエントランスのところに
に立っていただけで事実上フリーパス。
パスポートにも団体ビザなので中国の出入国スタンプは無し。
大音響のドラやカネの音と大勢の人たちに迎えられて晴れがましく中国へ上陸しました。 -
大型バスに分乗しての虹口公園(今の魯迅公園)への移動。
いやぁー、痛快でした。
バスの前後に回転灯をつけたパトカーがついて先導していきます。
交差点に来ると配置された警察官が反対方向の車を止めます。
交差点の流れを止めて10数台のバスが連なっていく様子は壮観でした。
あれから2度とありませんでしたが、本当に良い気分でした。 -
虹口公園では魯迅先生の墓に代表が献花しました。
なにせ、400名の大人数、後をついて行くのがやっとでなんだか判らないうちに一回りしたという感じでした。
公園の入口ゲートの「慶祝中華人民共和国…」という文字が雰囲気をだしていました。 -
公園内で幼稚園ぐらいの子ども達が遊んでいました。
みな良い表情をしていたと思います。
ただ、今考えると、当時としては子ども達の服装が良すぎるので、あらかじめ中国側が準備したやらせでは無かったのかとも思えるのですが… -
同じく公園内で太極拳をする老人。
さすがに本場物でいい味を出しています。
あらためて見直してもすごく型がきまっています。
もしかするとものすごく高名な太極拳の達人なのかも知れません。 -
こちらの太極拳グループはまだまだみたいです。 -
移動中の繁華街の様子です。
たぶん、南京路あたりだと思います。
人々の服装が時代を感じさせます。
お店の名前でしょうか? 洋服屋?さんのショ−ウィンド−に神仙魚shenxianyuの文字が読めます。
右側の地番表示「○○○○453」と当時の記憶からすると南京西路の453番地…人民公園の近く功徳林のあたりではないかと思われるのですが… -
当時のお金 外匯兌換券waihuiduihuanquanです。
外国人専用のお金で一般人民の使う紙幣に比べてちょっと小振りですがほとんど真新しいお札でした。
写真は1元札と1角札です。
1979年と発行年が印刷されています。
当時のレートで1元は148円ぐらいだったと思います。
この兌換券は1992年の年末ぐらいに廃止されました。 -
やって来たところは上海展覧館。
当時中国が友好関係にあったソ連風の建物です。
この建物は今でもツアー客が良く連れて行かれる外国人観光客用お土産物屋として健在です。 -
展示品です。
モーター、トラクター、シーケンスコントローラー、ガスしゃ断器などが並んでいました。
たまたま私は専門分野ですので写真を撮りながら興味深く見ましたが、興味のない人には本当につまらないものだと思います。 -
移動中の街なみの様子です。
2輌連結のバスが見えます。
乗用車の姿はほとんどありません。 -
街角の風景
自転車リヤカー
後は職業訓練校のような建物だと思います。 -
玉石彫刻工場にて
珊瑚細工の製作を見学中。 -
街角の風景
ダイハツミゼット?
当時でも珍しかったと思います。 -
少年宮の見学風景です。
もうご存じない方が多いかも知れませんが、当時中国で盛んだった少年少女の課外活動?の場です。
教室のなかに入っていくと60人ぐらいの子ども達が並んで座っていました。
そして先生の指揮で歌い始めたのは「♪さくら〜 さくら〜 や〜よ〜い〜の…」という日本語の歌詞でした。
我々のため?に前から練習していてくれたと思うと感動ものでした。 -
独創活動との説明でした。
10人ぐらいずつのテーブルに分かれて熱心にやっていました。
色紙をハサミで切り抜いた物を台紙に貼り付けています。
作品はお人形さんのようなものが多かったと思います。 -
武術の稽古の様子です。
後に立ててある槍や剣なども使います。 -
少年宮の壁に掛かっていた絵です。
水泳、ランニング、テニス、卓球… といったところです。
当時の雰囲気が漂っているような気がするのですが… -
移動中の風景
トラクターではなくて耕耘機に台車を付けた物だと思います。
よく見ると満載の穀物袋の他に人間が6人乗っています。 -
郊外の人民公社の訪問です。
ご存じない方のために説明しますと人民公社とは
中国において1958年から1982年の間に、農村を基盤として普及した、政治や経済、さらに文化、軍事までをも含んだ農業集団化機構です。
一時は隆盛を極めましたが1982年の憲法改定により、その数年後にはほぼ消滅しました。 -
ご覧の通りの 熱烈歓迎reliehuanying 日本朋友Ribenpengyouです。
お金の掛からない真心のこもった歓迎です。 -
台所の様子です。
もしかしたら別の場所かも知れません。 -
たぶんこれは人民公社の豚小屋だったと思います。
豚は見なかったように思えるのですが… -
郵便局ではありません郵電局です。
中国の郵政事業のシンボルカラーは深緑色です。
入口の上に掛けられた垂れ幕には
「七一起全国実行郵政編碼 寄信請写郵政編碼和地址」
(七月一日より全国で郵便番号制が実施されます。 郵便物には郵便番号と住所を書いて下さい。)とあります。 -
当時のガイドさんです。
一班に3〜4人ぐらいずつ就いていました。
ほとんどが日本語を学んでいる学生が急遽駆り出されたという状況だったようです。
みな若くて、まじめで、熱心なのはいいのですが、肝心の日本語はあまり通じなかったように思います。 -
2日間の見学予定を終了した後、浦江飯店での食事。
現在、浦江飯店はバックパッカー御用達の宿ですが、当時中国にはバックパッカーは一人もいなかったはずです。
その後に同じ場所で雑技?が行われました。
当時は相当感激して観た覚えがあります。
その後、21時過ぎに船に戻り、天津へ向けて出航、就寝となりました。
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この旅行記へのコメント (11)
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- さすらいの旅人マーさん 2013/11/11 23:04:54
- 33年前の上海、今とは全然違いますね
- はじめまして。9月に11年ぶりに上海にトランジットで2泊しました。随分、上海は洗練されていましたが、さらに33年前と比べると、また、全然違い、とても時代を感じました。おもしろかったです。
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- おぎゃんさん 2012/11/18 10:04:07
- はじめまして。
- ajiajiroさん、はじめまして。
10代のころ、姉妹都市の上海へ友好団の一員として応募参加しようとしてたので、こんな雰囲気に近かったのかなと無理してでも行っとけばよかった後悔ばかりです。
女の子も化粧っ気がなくて素朴で型にはまった(^.^)時代ですね。
今の若い中国人もびっくりな風景かも。
- ajiajiroさん からの返信 2012/12/27 23:34:59
- RE: はじめまして。
- おぎゃんさん、你好! ο(‘v‘)ο
昔と中国は大変に変わりました。
最近は地下鉄の中なんかでジーパンを今にも落ちそうなくらいにずっこかした若者なんかも見かけるようになりました。
では、また。 再 見 (^_^)/~
-
- カザMAXさん 2007/11/12 14:32:04
- 青年の船
- ajiajiro様 再びこんにちは。
「青年の船」懐かしいです。
私が乗ったのでは無く、確か1970年代に父が乗りました。
当時小学生だった私は、横浜まで母と一緒に父を見送りに行きました。
大きな船に向かってテープを投げたのですが、
船が大きすぎて届かず、大泣きをしたのを今でも覚えています。
父との別れが辛くて、帰りの電車の中でもずっと泣いていました。
船の中では豪華な食事が毎日楽しめたと聞いています。
ナイフやフォークが沢山並んでいて、後ろからいつもウエイターに見られていたとか…。
確か父は香港やフィリピンを回ったんだと思います。
「千円。千円。」と付きまとう売り子から、
いろんなお土産を買って来てくれました。
- ajiajiroさん からの返信 2007/11/12 23:23:34
- RE: 青年の船
- カザMAXさん、また、こんにちは
「青年の船」… 私も 懐かしいです。
ちょうど今から27年前のことでした。
思えば… あれが私が中国にのめり込むきっかけだったかも…
では、また。 再 見 (^_^)/~
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- 井上@打浦橋@上海さん 2007/11/12 08:50:44
- 当時の上海の街中の写真、もっと見たい!!
- ajiajiroさん、どうも。
ajiajiroさんの中国初体験は80年でしたか・・・・
私は84年1月31日です。
そうか、青年の船ね・・・・フムフム
となると、やはり向こうで準備したものしか見ること出来なかったということでしょうね。
上海の街中の様子の写真が興味深いです。
○○○○453号かどこなのか、確かに、そう功徳林辺りかもしれません。
2輌連結バスが出てる写真の場所、職業訓練校の場所、
ダイハツ・ミゼットの場所・・・向こうに洋館が見えますが、
まだ残ってるかもしれません。
ここはフランス租界か、あるいはスコット路あたりか・・
いつか、当時の上海の街中の写真拝見したいです。
人民元1元が148円でしたか。
84年には140円でした、86年頃には120円になりました。
当時のガイドさんの格好・・・この格好懐かしいです。
当時は、みんな、こんな格好していました。
- ajiajiroさん からの返信 2007/11/12 23:47:21
- RE: 当時の上海の街中の写真、もっと見たい!!
- 井上@大先生、ご無沙汰しております。
昔は今のようにデジカメではなかったので、むやみやたらに写真を撮ることは出来ませんでした。
上海の街の変化の早さは驚くばかりで、わずか27年前のことですが、もうすっかり「昔の写真」に成っていますね。
では、また。 再 見 (^_^)/~
-
- こまちゃんさん 2006/05/10 23:18:55
- 兌換券
- 1993年12月、仕事の用事で7000元の兌換券を交換し持っていた時、都合で使わず仕舞いとなり、年末でしたので一端帰国となりました。
その帰国中の日本で、「1994年から、中国の兌換券(FEC)が廃止され、トラベラーも全て人民元統一となりました・・・」と言うニュースをテレビで見て焦りました。1月に再渡航したのが広州で、ドキドキしながら銀行で尋ねてみると、「ドルに8.2で交換可能です」と言うので、レート差を計算して全額ドルに交換し、新たに人民元にして1.5倍以上に増えた事を覚えています。(^^;
ちなみに、こまの初めての中国渡航は1993年3月です。
- ajiajiroさん からの返信 2006/05/11 22:28:46
- RE: 兌換券
- こまちゃんさん、こんばんは!
書き込みありがとうございます。
兌換券を使った経験のある方もだんだんと少なくなっているでしょうね。
当時のレートがいくらだったかは判りませんが、7000元と言えばかなりの高額。
再両替ができてよかったですね。
私も替わった直後(両方使用可能)の1月に上海に行ったのですが…
外国人向けのお土産物店(友誼商店、上海展覧中心)などは軒並み値札が5割り増しに訂正してありました。
しかし、街中の商店などは同じ値段ですから、けっこうお買い得感がありました。
では、また。 再 見 (^_^)/~
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- kokonoさん 2005/08/28 13:49:08
- こんにちは
- ajiajiroさんアジア >> 中国の旅行記を拝読しました
・第一回○□県青年の船訪中団に参加したときの記録をご紹介します。
・総勢約400名が参加しました。
>400名とは驚きです、現在ですとジャンボ機貸し切りですね・・
・海原をゆく。のんびりとした良いお天気でした。
>当時の船旅はご苦労が多いのでは・・若くて元気な方達が大勢で
長い時間かけての航海は・・
・当時のガイドさんです。みな若くて、まじめで、熱心なのはいいのですが、
肝心の日本語はあまり通じなかったように思います。
>通訳の仕事はいつも大変な苦労がありますね・・「シンセン新都市」が、
できる時期に仕事の関連で若い女性の通訳の方が付きました・・
広東語-英語です・英語力は堪能ですが日本語は全然駄目なんです・
技術専門用語などは英語-広東語で通じないときがあります
私と同年輩の中国側の技術者の方が日本語を理解してくれ
大変に助かったことを覚えています
・街角の風景ダイハツミゼット?当時でも珍しかったと思います。
>珍しいです・・貴重な写真だと思います!!
・(郵便物には郵便番号と住所を書いて下さい。)とあります。
>この表示には驚きました、日本国よりも進んでいたのですね・・
いまだに地名などは旧態の処が多い我が国日本です
貴重な写真と当時の詳しい状況説明の旅行記をありがとうございました
- ajiajiroさん からの返信 2005/08/28 14:47:16
- RE: こんにちは
kokonoさん、こんにちは!
書き込みありがとうございました。
いつも拝見させて頂いています。
当時はかなり強烈な印象を受けた訪中団の旅でしたが、25年の年月は多くの記憶を失わせていました。
写真を見て、あらためて思い出したことも数多くありました。
いろんな意味も込めまして、私の青春の思い出でした。
これからもよろしくお願い致します。
では、また。 再 見 (^_^)/~
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