1980/10/01 - 1980/10/14
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ajiajiroさん
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1980年○□県青年の船の記録です。
この旅行記には一部、私以外の他の団員の撮影した写真も入っていることをお断りしておきます。
最初の訪問地、上海で2日間の活動を終えた団員は上海港から再び、さんふらわあ7に乗り込み次の目的地の天津港へ向かいました。
天津入港の前日の夕方、船が渤海湾に入った頃から、海は大荒れとなり船内はてんやわんやでほとんどの団員は船酔いで食事が取れない状態となりました。
いつも大勢で賑わう夜の懇親会も船酔いより先にお酒に酔っているような猛者が一組10人ぐらいいるだけでした。
10月8日の朝、天気晴れ。8時過ぎ天津新港に上陸しました。
-
先ず、訪れたところは天津の水上公園です。
団体行動ですので待望のパンダとの対面はおよそ1分間。
それでも動いているパンダを見られて感動しました。 -
言葉は通じませんが、一緒に現地の若者達と記念撮影。
この青年達はこの公園に写生に来ていたようです。 -
天津賓館で昼食の後、天津体育館でスポーツ交歓会です。
体育館の入り口でおそろいのピンクのスカートやネッカチーフをつけた子ども達が大勢で熱烈歓迎してくれました。 -
体育館の内部の様子です。
参加人員は5000人と聞きました。
交歓会の内容は
日中親善バレーボール、綱引き、フォークダンス、合唱など。
日本側より剣道、柔道の披露。
中国側より雑技の披露など。 -
柔道クラブの発表中です。
畳は日本から船に積んできた物です。
私は柔道クラブの所属で、中央で組み合っているのは私です。
受け身、投げの形、乱取りなどを披露しました。
なにか、日本を代表しているような気持ちになってとても緊張したことを覚えています。 -
突然のニイハオトイレです。
いろいろありますがこの時困ったのは、床が落とし物やら何やらでかなり汚れていることです。
実は私、柔道の出演の前におしっこに行きたくなりまして行った訳ですが、すでに柔道着に着替えていましたので裸足だったのです。
更衣室は遠かったのでそのまま柔道着+裸足で行ったら、大勢の中国人にジロジロ見られて床の上にはあちこち落とし物でたいへんでした。
また柔道着は帯をはずして、ズボンのヒモを解かないとおしっこができないのですが、その様子も中国人民に披露してしまいました。
いまでも私の印象に残っているトイレでした。 -
交歓会終了後に体育館の入り口で。
おじいちゃんと孫娘でしょうか? -
ご覧の通りですが…
果殻箱guoqiaoxiang ごみ箱
人人有責renrenyouze 講究衛生jiangjiuweisheng
衛生に気をつけることはすべての人に責任がある。でしょうか?
さすが、スローガンの国 中国だと感心しました。
夕食の後、市内の天津第一百貨店で買い物。
薄暗い蛍光灯の光の下にはまばらに商品が並んでいました。
本日は天津市河西区友誼路の天津賓館に宿泊です。 -
翌10月9日 朝4時モーニングコール。
今日の予定は天津から列車で北京日帰りです。
天津駅5:37分に列車は出発。
列車での2時間弱は学生ガイド達とのなかなか進まない会話で盛り上がりました。
北京駅着7:20 写真は北京駅です。 -
先ず向かったところは中国でいちばん有名な観光地、万里の長城 八達嶺でした。
今現在は北京近郊から高速道路もできて快適な道路ですが、当時はご覧のように舗装こそしてありますが、バスがすれ違うのがやっとのような道幅でした。
ここでなにが驚いたかっていいますと、バスの運転手さんの荒っぽい運転の仕方です。
いやぁー すごいです。この山道をバスなのにまるでレースをしているように70〜80?/hのスピードでお互いに追い越しを掛けてきます。 -
一度などは、前のバスが急ブレーキで止まったのに後続の我々の乗ったバスが止まりきれなくてあわやという状況がありました。バスはタイヤを鳴らして前のバスに覆い被さるように斜めに道をふさいで止まりました。 -
さあ、待望の八達嶺長城です。
絵に描いたような北京秋天でした。
周囲には紅葉した木々もありまして良い景色です。
私は躊躇することもなく元気いっぱい男坂を登りました。 -
長城簡介
当時の長城はロープウェイもなければ、長城全周影院もありませんでした。
ところで、長城の名キャッチフレーズ「月から見える唯一の建造物」が真っ赤なうそだということを知っていますか?
長城は確かに長さは6000kmと言われていますが、幅はほとんどが4〜5mぐらいです。
そんなものより、目立つ大きな建物はいくらでも存在するという理由です。 -
午後もだいぶ過ぎてから故宮見学です。
ここは天安門です。25年前は本来の正面玄関である天安門から車で故宮に入ることが出来たのです。
ちなみに故宮の世界遺産登録は1987年なのでこの当時は世界遺産ではありませんでした。 -
故宮の内部です。
当時はろくな知識がなかったのと、400人で移動しているため後を追いかけている状態になりがちなため、あまり印象は残っていません。 -
誰かがカメラを構えますとすぐに大勢の団員が集まってくる状態です。
中央はガイドさんです。 -
商品のまばらな友誼商店で買い物。
新橋飯店で夕食、休憩。
北京駅発21:20の特別列車で天津へ帰ります。
明日また北京なのに往復4時間掛けて天津へ一旦戻りました。
当時の北京駅始発列車時刻表です。 -
ようやくホテルへ帰り着いたのは、日付も変わろうという頃。
この天津賓館、2泊したのですが、印象に残っているのはやたらと天井の高い客室だったことだけ。
午前一時過ぎに就寝?
次の朝? 午前4時モーニングコール。
天津駅発5:37の列車で北京駅着7:20。
中国最後の日は、昨日に引き続き北京観光。 -
頤和園にて。
現地班7班のメンバー -
だいぶ疲れが貯まっていまして睡眠をとる方が多くなっていました。 -
まだ世界遺産ではなかった25年前の天壇公園の祈年殿。 -
回音壁かな?
中央で手を打っている背の高い男性の職業は消防士さんです。 -
ここはどこ?
集まっているのはどこの班?
集合写真はたくさん撮りました。 -
たぶんここは天安門広場のとなりにある中国歴史博物館の中。
通路脇の長イスに座っていた4人組?
たぶん、見学者ではなくて関係者だったと思います。 -
お待ちかねの天安門広場です。
1980年当時はこんな感じ。 -
うちの班の女性ふたりが中国人家族と記念撮影。
当時はまだ外国人が少なかったからでしょうか?
中国の方に身振り手振りで写真を撮って良いかと伝えると大抵は笑顔で了解を表してくれました。 -
天安門の人?
私は知らなかったのですが、元気の良い団員はこの天安門広場でレクダンスをして多くの見物の中国人から拍手喝采を受けたとのこと。 -
北海公園にも行きました。
人数が少なくなっていますが、現地班7班です。
殺人的な強行スケジュールの北京観光はここで終了となりました。 -
また北京駅から列車に乗り天津へ向かいます。
そしてそのまま、今夜出航です。
列車の中で3日間お世話になった天津外国語学校の即席ガイドさん達と別れを惜しみます。
ここのシーンがある意味で今回の一番の日中友好の場面だったと思います。
ただ惜しむらくは、どうしようもない言葉の壁。
お互いに熱く胸の内を語るのにはほど遠いコミュニケーション能力でした。 -
22:00 さんふらわあ7は 一路日本を目指して天津新港を出航しました。
ハードスケジュールが続いた為か、バタンキューで波を枕に眠りに就きました。
写真は当時の公式?ステッカーです。
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