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ミュンヘンのキャッチバーで愉しむだけ愉しんだ後、法外な料金を踏み倒して逃げてきた友人Kとパリのユースホステルで合流した後、夜行寝台列車の<プエルタ・デル・ソル号>でパリからマドリードに向かう車中,夜目に見えるピレーネ山脈を超えてからのスペインの景色を寝台ベッドでうつ伏せになりながら、飽きもせずいつまでも眺めていた。<br /><br />ゴツゴツとした岩肌、月明かりに照らされた殺風景な巨大な岩石とサボテン、赤土の景色は西部劇に出てくる乾いた風景を思い出させた。ピレーネ山脈を越えたら欧州ではない、と云われるのはこの風景を観ればとても納得出来た。アフリカ的な荒野が月明かりに浮かびあがっているのが車窓から見て取れた。イタリア製の西部劇こと、マカロニ・ウエスタンのロケの多くがスペインだったというエピソードは、この風景を見た時、とても合点がいく話だった。<br /><br />スペインには昔から特別の思い入れを感じていた。世界中から多くの義勇軍が参戦したというスペイン内戦のインサイドストーリー、五木寛之の著作<我が心のスペイン>から始まって、多くのスペインに関する書物を読み漁っていた時期があった。<br /><br />列車が早朝のマドリッド駅に滑り込んで<MADRID>という駅標識を見た時、ついに長年、想い憧れていた街に来たという特別な感慨を持った。当時フランコ将軍は、まだ存命していた。  そしてスペインは聞きしに勝る程の<眼の国>だった。人の集まるあらゆる場所には監視の目が光っていた。駅構内には自動小銃を持ち迷彩服を着た軍人が詰めて目を光らせていた。出口と書かれたドアから駅構内に入ろうとした私は、自動小銃を抱えた軍人から押し返されたものである。<br /><br />外国人が宿泊する際は、どんな安宿でもパスポートを預けなくてはならない。ただ提示するだけでなく、宿側に預けるのだ。翌日返して貰えるが、警察がチェックを入れるのだろう。他の欧州の西側諸国々で、こんな事をする国は無かった。パスポートが手元に無い事は、気持ちのいいものではなかった。一ヶ月という極く限られた短い旅ゆえ、マドリードには、グランビア<大通り>と呼ばれる街の中心地、ホセ・アントニオ通りに程近い<Hostal>と呼ばれるクラスの安宿に数日だけ滞在することしか出来なかった。<br /><br />この安宿街のシステムはとてもユニークだった。夜も更けると、宿の出入り口の鍵は閉じられてしまう。その時は閉じられた門の前でポーン、ポーンっと拍手<かしわで>を打てば、音を聞き付けた、外套を着た門番が、遠くの方から鍵をジャラジャラさせながら、やってくるのだ。彼等は何故か一様に太っていて、ゆっくりと歩いてくる。その姿格好は中世のヨーロッパを描いた映画に出てくるような衣装と風情だった。彼らは地域一帯のHOSTALや安宿の入り口の合鍵を持っていて、相応のチップを門番に渡して自分の泊まってる宿のドアを開けてもらうのだ。<br />我々は他者の様子を見てこのスタイルを知った。 毎晩のように遅くまで外出していた我々は、夜毎、この鍵の門番に世話になっていた。宿に入ってベッドに潜り込んでも、聞こえてくる旅人が打つ拍手の響きが乾いたマドリードの夜の街角にコダマする様は、風情も感じられ悪いものではなかった。<br /><br />数日の滞在で市内の知られた美術館、観光名所を訪ね、夜はマヨール広場際に連なる古くからの酒場を梯子して、フラメンコのショーを観てマドリードの数日を慌しく過ごしていた。BAR<バル>と呼ばれるスタンドバーでグラスワインが僅か数十円で飲めるのだ。10杯飲んでも僅か数百円にしか満たないのだ。ソフトドリンクの方が高いくらいだった。そんな日々を数日過ごし、マドリードを慌しく後にして、次の目的地のイスラム文化の色濃く残るアンダルシア地方、グラナダに向かった。云わずと知れた<アルハンブラ宮殿>の街だった。<br /><br />列車がグラナダの駅に到着したのは夜の8時近かった。マドリードからおそらく八時間近くかかった。列車を降り、駅内のインフォメーションで安宿を紹介して貰う為に並んだ。我々の前に居たのがザックを背負った日本人旅行者だった。彼のインフォメーションでの遣り取りは言葉が通ぜず、とても難儀している様子だった。私は自分の語学力の無さも省みず、拙い英語で少しだけお節介をかけた。その旅行者は我々と同世代の学生かと思われた。<br />「スペインは英語が通じないから困るんだよな」と男は妙に弁解じみた口調で私に話し掛けてきた。如何にもプライドの高そうな奴だった。我々の番になり、私はいつもの安宿を求める時の定番のキーワード「チーペストクラス&ツイン&クリーン」とだけ告げる。何度も読み込んだ当時愛読していた五木寛之のエッセイ集<風に吹かれて>に出てくる旅のエピソードを真似たフレーズだった。すぐに駅から数分の距離にあるという安宿を紹介して貰えた。 すると何故か先ほどの日本人が立ち去らずに、我々の遣り取りを見て、近づいて来た。<br /><br />「同じ宿の二人部屋に三人で泊まれば更に安くなるだろ?」と男は唐突に訳の分からぬ事を云う。いったい何を云ってるんだ?お前? と云う感じだった。我々の押さえた部屋はツインルームだった。そこに三人で泊まる?、この男にハッキリと断った。にも関わらず、この男は、金魚の糞の如く、我々の後を付いてきて離れない。何だよ?お前・・・付いてくるなよ・・・気持ち悪いな・・・<br /><br />「あんたねぇ、、、自分の宿を紹介して貰ったのに、その宿に迷惑を掛ける事になるだろが?」 <br />「いや、日本語をしばらく話していないので、話し相手が欲しいと思ってね」<br />この男がいつから日本を離れているのか、別に知りたくもなかったし、私はこの男と積極的に口を利きたいと云う気持ちにもなれない。話していても楽しい感じもなく、妙に四角四面で自分勝手な振る舞い、旅の連れ合いとしては最悪の部類だった。 <br />にも関わらず!我々の泊まる宿までついてきた、この男を我々が追い払う事が出来なかったのは、同胞が夜の見知らぬ街で一人は心細いんだろう という余計な情けを掛けた我々の甘さの所為だった。 <br />押しかけてきた余分な男に、幸か不幸か宿ではエキストラベッドを用意してくれた。<br /><br />宿に着き、荷を解くと男が唐突に云う。<br />「夜のアルハンブラ宮殿に行こうぜ。ライトアップして素晴らしいらしいぞ」<br />長時間も列車に揺られ、いささか疲れ気味の私は、お前一人で行ってこいよ、、、という言葉が喉元まで出たが、ライトアップされて浮かび上がったアルハンブラ宮殿が私の中でイメージされると観てみたいという強い衝動に駆られた私は相棒のKと同行することにした。考えてみれば、我々はアルハンブラ宮殿を観るだけのためにマドリードから8時間もかけてグラナダを訪れていたのだ。<br />             <br />                   <br /><br />アルハンブラ宮殿への思い入れの深さは、タルレガの演奏する<アルハンブラの思い出>のトレモロ奏法のギターが奏でるイメージに起因している事に尽きた。このギターの音色と浮かびあがるようなトレモロ奏法は、いつの日かこの地を訪れたいという私の旅心を大いに刺激しイメージと想いを膨らませて幾久しかった。<br /><br />我々はライトアップされているというアルハンブラ宮殿を目指して歩き始めた。駅のインフォメ−ションで貰ったグラナダ市街の地図で確認すると宿から数キロの距離かと思われた。<br />夜のグラナダは、ほとんど人通りがなく時折、見かけるBARの灯りが街中に浮かび上がるように目立つくらいだった。マドリードでは銀座通りに当たる、夜の賑やかなグランビア<大通り>に程近いエリアに宿をとっていた我々には拍子抜けするような寂しさであった。<br /><br />道すがら、私は友人Kとスペイン女性の素晴らしさを他国の女性と比較しながら、口角泡を飛ばさんばかりに、とても熱心に語りあっていた。<br /><br />「君達は何故、そういうクダラナイ話には熱くなるのかな?スペインの文化とか、芸術とかそういうキチンとした話は出来ないのかな?」プライド君が割り込むように我々の話の腰を折ってきた。 <br /><br />「そういうことも含めて俺達は美の比較文化論を語っているんだよ。それが君には判らない?」と友人Kは非難する風でもなく穏やかな口調で巧みに怪しげ過ぎる屁理屈論で切り返す。するとプライド君は気不味そうに押し黙ってしまった。<br />この時、友人Kは20歳なれど、キャッチバーを巧みに踏み倒す肝っ玉と度胸の良さも持ち合わせていた。この友人Kとは付かず離れずの長い友達付き合いが未だに続いている。<br /><br />小高い丘の裾野まで歩き、見上げる先にライトアップされたアルハンブラ宮殿が浮かび上がって見えるはずだった。しかし、小高い丘の上は真っ暗闇だった。アルハンブラ宮殿はライトアップされてはいなかった。<br /><br />おそらく 世界的なオイルショックの所為で電力自粛していたのかもしれない。当時、我が国でも、エネルギー不足の所為で、深夜のTV放映を自粛したり、東京タワーの煌びやかなライトアップさえ抑え気味の時期があった。<br /><br />それでもアルハンブラ<赤い城>宮殿の城内に入っていた我々は、月明かりに、微細く照らされた、城内にしばし佇んだ。 満天の星の元、澄んだ空気の所為で夜のアルハンブラ宮殿で逢瀬を重ねている恋人達の吐息や囁き声さえも身近に聞こえてくる。14世紀に建造され当時イベリア半島を支配していたムーア人<アラビア人>の栄枯盛衰を物語る名残の宮殿だった。<br /><br />私は門塀に繋がる低い城壁の上によじ登り、身を横たえて仰向けに満天の星を眺めやがて目を閉じながら自分が遠く東京から一万キロ離れたアルハンブラ宮殿に居る不思議さを思わずにはいられなかった。10代の頃にタルレガの<アルハンブラの思い出>を聴いて、いつか必ず訪ねてみたいと願っていたアルハンブラ宮殿に自分が居る事に喜びを感じていた・・<br /><br />刹那、プライド君が唐突に云う。 <br />「これから麓にあるサクロモンテのジプシー部落までフラメンコを観に行こうぜ」 <br />宮殿の麓にジプシー達の住む洞穴が幾つもあり、そこでフラメンコの起源になったジプシーダンスを観ることが出来るということは知っていた。<br />「観に行けば? 俺達はマドリードで一番のフラメンコを見せるタブラオレストランで充分に堪能してきたから行かないよ」と冷ややかな口調で答える私。<br />「君達にはフラメンコ発祥のサクロモンテの地で本場中の本場のフラメンコを観たいという気持ちはないの?それはおかしいよ」愛も変わらず自分の価値観を押し付けてくるプライド君のスタイルや物言いに免疫が出来てきた所為か、何を云われても、この男に腹も立たなくなってきた。こいつの性分なんだと、、<br /><br />「実はジプシー部落は治安があまり良くないらしいんだ。サクロモンテまで出来れば同行してくれないかな?」  プライド君、最初から素直にそういう本音を云えば良いのに、、<br /><br />我々はサクロモンテのジプシー部落に向かった。日本人三人で歩いているとすぐに、スペイン人とは明らかに異なる顔立ちの男が我々の前に立ちはだかった。眉と眉が1本の線で繋がっている。眼の表情が忙しなく落ち着かない痩せたジプシーの男だった。<br />「お前達、フラメンコを観たいのか?俺がいい店に案内してやる。アメリカ人やイタリア人や色んな国の観光客が居る。心配するな。なんの問題もない」<br />心配するな、なんの問題もないと、自分から云うのが凄いなと思わず笑ってしまった。プライド君の顔を見ると緊張で表情が引き攣っている様子が垣間見えた<br /><br />「フラメンコを観たがってるのは彼だけだ」とプライド君を指差す私。<br />ジプシー客引きの目に軽い落胆の表情が浮かんだ。<br />プライド君は初志を貫く覚悟が出来たのか、私に国際学生証を渡しながら云う。<br />「もし、明朝までに自分が宿に戻らなかったら、関係省庁に連絡を願いたい」と大袈裟な事を云う。関係省庁だと、、こいつ、いったい何様のつもりだろ?<br />「何の心配もするな。君が明日の朝までに宿に戻らなかったら、その足でグラナダ警察に日本人がジプシー部落から戻ってこないと必ず届出をしておく。マドリードに戻ったら日本大使館に行って邦人が行方不明の旨と家族への連絡も頼んでおくから、心配するな」とプライド君がまるで、事件に巻き込まれる事を前提にするような事を揶揄するように皮肉を込めて云う私だった。 <br />やがてジプシーに連れて行かれ夜の闇に消えていくプライド君の小さくなっていく後姿を見ながら、無事を少しだけ祈った。<br /><br />プライド君の国際学生証を見ていた友人Kが大袈裟に叫ぶ。<br />「ひぇ〜〜 !!奴は東京大学の学生らしい」 <br />確かに大学名の項目には<TOKYO&gt;とだけ印刷されている。<br />「道理で様子が変だったな。妙にプライドが高くて変わっていたな。俺達と話題もまったく噛み合わなかったな。」と勝手な事を云う私。<br />「大丈夫かな?奴は?」とKが心配そうに呟く。<br />「大丈夫さ、命を取られたり事件に巻き込まれることはないよ。でも金は巻き上げられる。間違いなく持っていかれる。お前のように踏み倒して逃げる度胸や機転は奴にはないよ」<br /><br />我々は好き勝手な事を言いながら、サクロモンテのジプシー部落を去り、道中、BARを数軒冷やかしながら数時間かけて宿に戻った。すでに午前を廻っていた。 何だか妙に徒労感だけが残った。そして驚いたことに宿の我々の部屋の鍵が開いていた。何と!東大プライド君は先に宿に戻っているではないか!! 無事に帰れて良かったなあ、、、<br /><br />彼の話によると、洞窟をくり抜いたようなジプシーダンスの小屋を何軒も何軒も客引きのジプシーに引き回されたという。今度行くところは本当の本物だ!みたいな事をジプシーに何度も云われ、律儀にも何軒もノコノコと付いて行ったらしい。その都度、店に金を支払い、おそらく引き回したジプシーにも店側からそれぞれバックマージンが支払われていたはずだ。<br />いったい幾ら遣ったのさ?と 問うと、「五万円ちょっとかな」と少し恥ずかしそうに答えた。マドリードのツーリスト・ンフォメーションで市内で一番評判の高いタブラオ・レストランを紹介してくれと頼んだ店でさえ邦貨でドリンク付きで邦貨換算で3000円程だったのに。<br />我々が余りの浮世離れぶりと御馬鹿ぶりに言葉を失っていると、東大プライド君は弁解がましく云った。<br />「金には代えられない、貴重な経験をしたから失敗したとは思っていない」と妙に強がって見せた。<br /><br />しなくてもいい経験をして失敗ではないと言い放つ東大プライド君の言に超凡人の我々は発する言葉も見つからなかった。<br />ドッと睡魔が押し寄せた<br /><br /><br /><br />

アルハンブラの<変な> 思い出(・・;)

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kio

kioさん

ミュンヘンのキャッチバーで愉しむだけ愉しんだ後、法外な料金を踏み倒して逃げてきた友人Kとパリのユースホステルで合流した後、夜行寝台列車の<プエルタ・デル・ソル号>でパリからマドリードに向かう車中,夜目に見えるピレーネ山脈を超えてからのスペインの景色を寝台ベッドでうつ伏せになりながら、飽きもせずいつまでも眺めていた。

ゴツゴツとした岩肌、月明かりに照らされた殺風景な巨大な岩石とサボテン、赤土の景色は西部劇に出てくる乾いた風景を思い出させた。ピレーネ山脈を越えたら欧州ではない、と云われるのはこの風景を観ればとても納得出来た。アフリカ的な荒野が月明かりに浮かびあがっているのが車窓から見て取れた。イタリア製の西部劇こと、マカロニ・ウエスタンのロケの多くがスペインだったというエピソードは、この風景を見た時、とても合点がいく話だった。

スペインには昔から特別の思い入れを感じていた。世界中から多くの義勇軍が参戦したというスペイン内戦のインサイドストーリー、五木寛之の著作<我が心のスペイン>から始まって、多くのスペインに関する書物を読み漁っていた時期があった。

列車が早朝のマドリッド駅に滑り込んで<MADRID>という駅標識を見た時、ついに長年、想い憧れていた街に来たという特別な感慨を持った。当時フランコ将軍は、まだ存命していた。  そしてスペインは聞きしに勝る程の<眼の国>だった。人の集まるあらゆる場所には監視の目が光っていた。駅構内には自動小銃を持ち迷彩服を着た軍人が詰めて目を光らせていた。出口と書かれたドアから駅構内に入ろうとした私は、自動小銃を抱えた軍人から押し返されたものである。

外国人が宿泊する際は、どんな安宿でもパスポートを預けなくてはならない。ただ提示するだけでなく、宿側に預けるのだ。翌日返して貰えるが、警察がチェックを入れるのだろう。他の欧州の西側諸国々で、こんな事をする国は無かった。パスポートが手元に無い事は、気持ちのいいものではなかった。一ヶ月という極く限られた短い旅ゆえ、マドリードには、グランビア<大通り>と呼ばれる街の中心地、ホセ・アントニオ通りに程近い<Hostal>と呼ばれるクラスの安宿に数日だけ滞在することしか出来なかった。

この安宿街のシステムはとてもユニークだった。夜も更けると、宿の出入り口の鍵は閉じられてしまう。その時は閉じられた門の前でポーン、ポーンっと拍手<かしわで>を打てば、音を聞き付けた、外套を着た門番が、遠くの方から鍵をジャラジャラさせながら、やってくるのだ。彼等は何故か一様に太っていて、ゆっくりと歩いてくる。その姿格好は中世のヨーロッパを描いた映画に出てくるような衣装と風情だった。彼らは地域一帯のHOSTALや安宿の入り口の合鍵を持っていて、相応のチップを門番に渡して自分の泊まってる宿のドアを開けてもらうのだ。
我々は他者の様子を見てこのスタイルを知った。 毎晩のように遅くまで外出していた我々は、夜毎、この鍵の門番に世話になっていた。宿に入ってベッドに潜り込んでも、聞こえてくる旅人が打つ拍手の響きが乾いたマドリードの夜の街角にコダマする様は、風情も感じられ悪いものではなかった。

数日の滞在で市内の知られた美術館、観光名所を訪ね、夜はマヨール広場際に連なる古くからの酒場を梯子して、フラメンコのショーを観てマドリードの数日を慌しく過ごしていた。BAR<バル>と呼ばれるスタンドバーでグラスワインが僅か数十円で飲めるのだ。10杯飲んでも僅か数百円にしか満たないのだ。ソフトドリンクの方が高いくらいだった。そんな日々を数日過ごし、マドリードを慌しく後にして、次の目的地のイスラム文化の色濃く残るアンダルシア地方、グラナダに向かった。云わずと知れた<アルハンブラ宮殿>の街だった。

列車がグラナダの駅に到着したのは夜の8時近かった。マドリードからおそらく八時間近くかかった。列車を降り、駅内のインフォメーションで安宿を紹介して貰う為に並んだ。我々の前に居たのがザックを背負った日本人旅行者だった。彼のインフォメーションでの遣り取りは言葉が通ぜず、とても難儀している様子だった。私は自分の語学力の無さも省みず、拙い英語で少しだけお節介をかけた。その旅行者は我々と同世代の学生かと思われた。
「スペインは英語が通じないから困るんだよな」と男は妙に弁解じみた口調で私に話し掛けてきた。如何にもプライドの高そうな奴だった。我々の番になり、私はいつもの安宿を求める時の定番のキーワード「チーペストクラス&ツイン&クリーン」とだけ告げる。何度も読み込んだ当時愛読していた五木寛之のエッセイ集<風に吹かれて>に出てくる旅のエピソードを真似たフレーズだった。すぐに駅から数分の距離にあるという安宿を紹介して貰えた。 すると何故か先ほどの日本人が立ち去らずに、我々の遣り取りを見て、近づいて来た。

「同じ宿の二人部屋に三人で泊まれば更に安くなるだろ?」と男は唐突に訳の分からぬ事を云う。いったい何を云ってるんだ?お前? と云う感じだった。我々の押さえた部屋はツインルームだった。そこに三人で泊まる?、この男にハッキリと断った。にも関わらず、この男は、金魚の糞の如く、我々の後を付いてきて離れない。何だよ?お前・・・付いてくるなよ・・・気持ち悪いな・・・

「あんたねぇ、、、自分の宿を紹介して貰ったのに、その宿に迷惑を掛ける事になるだろが?」 
「いや、日本語をしばらく話していないので、話し相手が欲しいと思ってね」
この男がいつから日本を離れているのか、別に知りたくもなかったし、私はこの男と積極的に口を利きたいと云う気持ちにもなれない。話していても楽しい感じもなく、妙に四角四面で自分勝手な振る舞い、旅の連れ合いとしては最悪の部類だった。 
にも関わらず!我々の泊まる宿までついてきた、この男を我々が追い払う事が出来なかったのは、同胞が夜の見知らぬ街で一人は心細いんだろう という余計な情けを掛けた我々の甘さの所為だった。 
押しかけてきた余分な男に、幸か不幸か宿ではエキストラベッドを用意してくれた。

宿に着き、荷を解くと男が唐突に云う。
「夜のアルハンブラ宮殿に行こうぜ。ライトアップして素晴らしいらしいぞ」
長時間も列車に揺られ、いささか疲れ気味の私は、お前一人で行ってこいよ、、、という言葉が喉元まで出たが、ライトアップされて浮かび上がったアルハンブラ宮殿が私の中でイメージされると観てみたいという強い衝動に駆られた私は相棒のKと同行することにした。考えてみれば、我々はアルハンブラ宮殿を観るだけのためにマドリードから8時間もかけてグラナダを訪れていたのだ。
             
                   

アルハンブラ宮殿への思い入れの深さは、タルレガの演奏する<アルハンブラの思い出>のトレモロ奏法のギターが奏でるイメージに起因している事に尽きた。このギターの音色と浮かびあがるようなトレモロ奏法は、いつの日かこの地を訪れたいという私の旅心を大いに刺激しイメージと想いを膨らませて幾久しかった。

我々はライトアップされているというアルハンブラ宮殿を目指して歩き始めた。駅のインフォメ−ションで貰ったグラナダ市街の地図で確認すると宿から数キロの距離かと思われた。
夜のグラナダは、ほとんど人通りがなく時折、見かけるBARの灯りが街中に浮かび上がるように目立つくらいだった。マドリードでは銀座通りに当たる、夜の賑やかなグランビア<大通り>に程近いエリアに宿をとっていた我々には拍子抜けするような寂しさであった。

道すがら、私は友人Kとスペイン女性の素晴らしさを他国の女性と比較しながら、口角泡を飛ばさんばかりに、とても熱心に語りあっていた。

「君達は何故、そういうクダラナイ話には熱くなるのかな?スペインの文化とか、芸術とかそういうキチンとした話は出来ないのかな?」プライド君が割り込むように我々の話の腰を折ってきた。 

「そういうことも含めて俺達は美の比較文化論を語っているんだよ。それが君には判らない?」と友人Kは非難する風でもなく穏やかな口調で巧みに怪しげ過ぎる屁理屈論で切り返す。するとプライド君は気不味そうに押し黙ってしまった。
この時、友人Kは20歳なれど、キャッチバーを巧みに踏み倒す肝っ玉と度胸の良さも持ち合わせていた。この友人Kとは付かず離れずの長い友達付き合いが未だに続いている。

小高い丘の裾野まで歩き、見上げる先にライトアップされたアルハンブラ宮殿が浮かび上がって見えるはずだった。しかし、小高い丘の上は真っ暗闇だった。アルハンブラ宮殿はライトアップされてはいなかった。

おそらく 世界的なオイルショックの所為で電力自粛していたのかもしれない。当時、我が国でも、エネルギー不足の所為で、深夜のTV放映を自粛したり、東京タワーの煌びやかなライトアップさえ抑え気味の時期があった。

それでもアルハンブラ<赤い城>宮殿の城内に入っていた我々は、月明かりに、微細く照らされた、城内にしばし佇んだ。 満天の星の元、澄んだ空気の所為で夜のアルハンブラ宮殿で逢瀬を重ねている恋人達の吐息や囁き声さえも身近に聞こえてくる。14世紀に建造され当時イベリア半島を支配していたムーア人<アラビア人>の栄枯盛衰を物語る名残の宮殿だった。

私は門塀に繋がる低い城壁の上によじ登り、身を横たえて仰向けに満天の星を眺めやがて目を閉じながら自分が遠く東京から一万キロ離れたアルハンブラ宮殿に居る不思議さを思わずにはいられなかった。10代の頃にタルレガの<アルハンブラの思い出>を聴いて、いつか必ず訪ねてみたいと願っていたアルハンブラ宮殿に自分が居る事に喜びを感じていた・・

刹那、プライド君が唐突に云う。 
「これから麓にあるサクロモンテのジプシー部落までフラメンコを観に行こうぜ」 
宮殿の麓にジプシー達の住む洞穴が幾つもあり、そこでフラメンコの起源になったジプシーダンスを観ることが出来るということは知っていた。
「観に行けば? 俺達はマドリードで一番のフラメンコを見せるタブラオレストランで充分に堪能してきたから行かないよ」と冷ややかな口調で答える私。
「君達にはフラメンコ発祥のサクロモンテの地で本場中の本場のフラメンコを観たいという気持ちはないの?それはおかしいよ」愛も変わらず自分の価値観を押し付けてくるプライド君のスタイルや物言いに免疫が出来てきた所為か、何を云われても、この男に腹も立たなくなってきた。こいつの性分なんだと、、

「実はジプシー部落は治安があまり良くないらしいんだ。サクロモンテまで出来れば同行してくれないかな?」  プライド君、最初から素直にそういう本音を云えば良いのに、、

我々はサクロモンテのジプシー部落に向かった。日本人三人で歩いているとすぐに、スペイン人とは明らかに異なる顔立ちの男が我々の前に立ちはだかった。眉と眉が1本の線で繋がっている。眼の表情が忙しなく落ち着かない痩せたジプシーの男だった。
「お前達、フラメンコを観たいのか?俺がいい店に案内してやる。アメリカ人やイタリア人や色んな国の観光客が居る。心配するな。なんの問題もない」
心配するな、なんの問題もないと、自分から云うのが凄いなと思わず笑ってしまった。プライド君の顔を見ると緊張で表情が引き攣っている様子が垣間見えた

「フラメンコを観たがってるのは彼だけだ」とプライド君を指差す私。
ジプシー客引きの目に軽い落胆の表情が浮かんだ。
プライド君は初志を貫く覚悟が出来たのか、私に国際学生証を渡しながら云う。
「もし、明朝までに自分が宿に戻らなかったら、関係省庁に連絡を願いたい」と大袈裟な事を云う。関係省庁だと、、こいつ、いったい何様のつもりだろ?
「何の心配もするな。君が明日の朝までに宿に戻らなかったら、その足でグラナダ警察に日本人がジプシー部落から戻ってこないと必ず届出をしておく。マドリードに戻ったら日本大使館に行って邦人が行方不明の旨と家族への連絡も頼んでおくから、心配するな」とプライド君がまるで、事件に巻き込まれる事を前提にするような事を揶揄するように皮肉を込めて云う私だった。 
やがてジプシーに連れて行かれ夜の闇に消えていくプライド君の小さくなっていく後姿を見ながら、無事を少しだけ祈った。

プライド君の国際学生証を見ていた友人Kが大袈裟に叫ぶ。
「ひぇ〜〜 !!奴は東京大学の学生らしい」 
確かに大学名の項目には<TOKYO>とだけ印刷されている。
「道理で様子が変だったな。妙にプライドが高くて変わっていたな。俺達と話題もまったく噛み合わなかったな。」と勝手な事を云う私。
「大丈夫かな?奴は?」とKが心配そうに呟く。
「大丈夫さ、命を取られたり事件に巻き込まれることはないよ。でも金は巻き上げられる。間違いなく持っていかれる。お前のように踏み倒して逃げる度胸や機転は奴にはないよ」

我々は好き勝手な事を言いながら、サクロモンテのジプシー部落を去り、道中、BARを数軒冷やかしながら数時間かけて宿に戻った。すでに午前を廻っていた。 何だか妙に徒労感だけが残った。そして驚いたことに宿の我々の部屋の鍵が開いていた。何と!東大プライド君は先に宿に戻っているではないか!! 無事に帰れて良かったなあ、、、

彼の話によると、洞窟をくり抜いたようなジプシーダンスの小屋を何軒も何軒も客引きのジプシーに引き回されたという。今度行くところは本当の本物だ!みたいな事をジプシーに何度も云われ、律儀にも何軒もノコノコと付いて行ったらしい。その都度、店に金を支払い、おそらく引き回したジプシーにも店側からそれぞれバックマージンが支払われていたはずだ。
いったい幾ら遣ったのさ?と 問うと、「五万円ちょっとかな」と少し恥ずかしそうに答えた。マドリードのツーリスト・ンフォメーションで市内で一番評判の高いタブラオ・レストランを紹介してくれと頼んだ店でさえ邦貨でドリンク付きで邦貨換算で3000円程だったのに。
我々が余りの浮世離れぶりと御馬鹿ぶりに言葉を失っていると、東大プライド君は弁解がましく云った。
「金には代えられない、貴重な経験をしたから失敗したとは思っていない」と妙に強がって見せた。

しなくてもいい経験をして失敗ではないと言い放つ東大プライド君の言に超凡人の我々は発する言葉も見つからなかった。
ドッと睡魔が押し寄せた



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  • スーポンドイツさん 2009/10/07 16:53:41
    アルハンブラ♪
    kioさん、こんどはこちらへ
    プライド君のようなヤナ人、嘉門達夫風に言えば「そんなん、おるおる〜」
    >免疫が出来てきた所為か、何を云われても、この男に腹も立たなくなってきた。こいつの性分なんだと、、
    すごいです!これはなかなか出来ることではないです。お二人の肝っ玉と度胸の良さは勿論のこと、さりげなく情けをかけてやる広い心も、すごいです!
    私の周りにkioさんのような人は見当たらなかったし、息子達も・・あぁ情けな〜い(=_=)

    話題がずれました(^^ゞ

    >アルハンブラ宮殿への思い入れの深さは、タルレガの演奏する<アルハンブラの思い出>のトレモロ奏法のギターが奏でるイメージに起因している事に尽きた。
    同じです。ウィスキーの広告にまで涙してアンドレス・セゴビアのレコードを買いました。その想いは今も引きずっておリ、まだ叶えておりません。
    >当時フランコ将軍は、まだ存命していた。
    スペインといえば太陽のイメージでしたが、厳しい状況だったのですねぇ。ソ連やチェコ・東独でも目と銃がありました。春にウズベキスタンへ行った時には、その名残か?パスポートをホテルに預け、手持ち通貨の申請や滞在登録も必要でした。
    けーしちょーさんの仰ったとおり、写真がなくても濃い旅行記に感動続きです。
    すーぽん

    kio

    kioさん からの返信 2009/10/10 00:07:19
    時代は変わる♪

    スーボンドイツさん こんばんわ!!
    書き込み、そして、投票まで頂き、恐縮です。旅行記の感想など
    書いて頂けるのはとても嬉しい事です。

    <アルハンブラの変な思い出>に目を通して頂けたのですね。卒業間際に欧州を一ヶ月ほど旅するというのが丁度、私の世代あたりから徐々にポピュラーになってきたんですよね。

    このアルハンブラの話も卒業間際の旅の出来事でした。
    あの頃、スペインの治安は決して悪くなかったという印象が強いですね。
    今は日本人がしばしば狙われるという<首締め強盗>や引ったくりの類も
    見たことも無ければ聞いたこともありませんでした。
    嗚呼 <時代は変わる>ですね。

    そういえば ちょっと前に 新聞のコラムか何かで読んだ話ですが、
    ボブ・ディランが、アメリカの某所で二人組の若い警官に
    職質されたそうな、
    「お前、何者だ?何処に行く?」と尋ねられ
    「ツアーの最中だ」とディランが答えると、二人の若い警官は更に
    不審に思ったのか、コンサート会場まで付いてきたそうな。
    つまり、かのボブ・ディランを知らない世代が育っているということで
    そのコラムもディランの名曲に引っ掛けて、
    まさに「時代は変わる」という落ちで終わってましたけどね。

    すんげええ 話題が脱線してしまいました(^_^メ

    ところでスーボンドイツさんのハンドルネームってど〜いう意味が
    あるんでしょ?? 結構 気になるんですけど(゚-゚)








    スーポンドイツ

    スーポンドイツさん からの返信 2009/10/11 17:46:04
    RE: アルハンブラ♪
    脱線大歓迎(o^-')b
    >つまり、かのボブ・ディランを知らない世代が育っている・・
    そうですか、PPMのカヴァーで英語の歌詞を始めて覚えたのがディランの曲でした。今どんなお姿なのか知りませんが・・。最近CMで懐かしいロック・ポピュラー曲がかかりますね。

    >ところでスーボンドイツさんのハンドルネームって・・
    お気楽に・・。主人が4トラに最初に投稿したのがドイツのホテルだったから、そう、とっても単純です(^_^;)
    すーぽん


  • ちょめたんさん 2009/01/30 15:57:05
    ご無沙汰で〜す!!
    最近は旅行記もはしょって作ってます。もともとの物臭本性が吹き出てきています。

    ホテルで拍手って面白いですね!神社じゃ有るまいし、霊験あらたかでしたか(^┰゜)

    グラナダの寄せ木細工の店でオルゴールが有ったのですが「アルハンブラの思い出」は有りませんでした、スペイン人は商売っ気無いですね日本なら模様を替えて色々作りますよねおおらかなのかな〜?

    kio

    kioさん からの返信 2009/02/01 21:07:25
    RE: ご無沙汰で〜す!!
    スペイン帰りのちょめたんさん こんばんわ!
    今年もよろしく!

    > ホテルで拍手って面白いですね!神社じゃ有るまいし、霊験あらたかでしたか(^┰゜)

    いったい何を読んで頂いたのかなと思ったら<アルハンブラの変な思い出>
    を読んでもらったんですね。投票もありがとうございます。(^^ゞ

    ホテルというよりHOSTAL<オスタル>と呼ばれるホテルよりワンランク下の
    個人経営の安宿ですよん。当時は邦貨換算で朝食付きで700円くらいで
    マドリードでも泊まれましたよ。hostal街が在ってその地域のhostalの
    入り口の鍵を幾つも持っている門番を呼び寄せる為にポーンポンと手を打って
    宿の入り口まで来てもらい鍵を開けてもらうんですよ。
    彼らは一様に太っていて中世ヨーロッパを思わせるような分厚そうな外套を着て
    えっちら〜おっちら〜という感じで音を聞きつけてやってくるんですよ。

    今も同じようなシステムになってるのかなああ・・・

  • M-koku1さん 2008/10/28 07:30:20
    日本の政府
    kioさん

    こういうプライド君がきっと政府や官庁にはびこっていて
    我々庶民の生活を圧迫しているんでしょうねえ。

    彼の大学出身の友達も色々いますが、
    まあちょっと変わり者が多いのは事実かもしれません。
    そのうちの一人が昔言っていました。
    ギリシャに行って、お金も少ないし、メニューも読めないから
    一番安いのを選んだそうです。
    そうしたら山盛りのゴキブリみたいな虫の料理がでてきたそうです。
    このプライド君は、毅然として全部食べたそうです。
    彼は、同じプライド君でも
    ガッツのあるプライド君でした。

    面白かったので一票です。 M

    (名前面倒なので、Mでいいですよ)(^O^)//

    kio

    kioさん からの返信 2008/10/29 22:36:01
    プライド君と関係省庁の間には・・
    Mさん こんばんわ〜〜

    <アルハンブラの変な思い出>に書き込み&投票有り難うございます〜

    > こういうプライド君がきっと政府や官庁にはびこっていて
    > 我々庶民の生活を圧迫しているんでしょうねえ。

    う〜〜ん、、 ど〜なんですかねぇ?
    T大生のエリート意識は旅先でもきっと強烈なんでしょうねえ
    警察に連絡してくれ ではなく、関係省庁に連絡願いたい ですからねえ
    選民思想というかあ 微妙に選民意識を感じてしまいましたね


    > 彼の大学出身の友達も色々いますが、
    > まあちょっと変わり者が多いのは事実かもしれません。

    私にはT大出身の友人は唯の一人もおりませんから
    変人が多いか否かもさっぱり判りません

    > 面白かったので一票です。 M

    ありがとうございます!

    > (名前面倒なので、Mでいいですよ)(^O^)//

    はい そうさせていただきます。よろしく!
  • さすらいおじさんさん 2007/01/30 14:18:58
    「アルハンブラの思い出」
    kioさん

    私も「アルハンブラの思い出」のトレモロに魅せられて、アルハンブラ宮殿に行きました。夜景は見られませんでしたが、きれいだったでしょうね。
    宮殿内でギター演奏しているストリート・ギタリストはいたのですが、なぜか「アルハンブラの思い出」は弾いてくれませんでした。弾いたらCDが売れるだろうに商売へただなあ---と思ったものでした。

    グラナダの洞窟のフラメンコ、3年前に私も1万円もしないオプショナルツアーで行きました。目の前で踊る迫力に圧倒されたものです。

    それにしても1970年代の5万は高い。東大プライド君は良家のぼんぼんなのでしょうね。1971年に私がヨーロッパを回ったときも、自信満々のプライド君が何人かいました。5万も出せるぼんぼんはいませんでしたがーーー。

    kio

    kioさん からの返信 2007/01/31 22:50:20
    RE: 「アルハンブラの思い出」
    さすらいおじさん〜こんばんわ!

    >グラナダの洞窟のフラメンコ、3年前に私も1万円もしないオプショナルツアーで行きました。目の前で踊る迫力に圧倒されたものです。

    さすらいおじさんもサクロモンテの洞窟フラメンコを観ているんですね
    きっと今はすっかり観光化されて穏やかな感じなんでしょうね

    文中に出てくる東大プライド君、一軒あたり邦貨換算で一万円くらいを律儀に
    ガイドのジプシーの指示に従って店に払っていたようです。
    んで5軒くらいをジプシーガイドと一緒に梯子させられた
    ようでした(´ヘ`;)ハァ





  • shinesuniさん 2007/01/20 03:05:56
    5万円???
    kioさん今晩は^^
    人それぞれの価値観は違うかもしれませんが5万円は凄いですねww
    でもどんな所か冷やかしに行ってみたくなっております。
    勿論100ユーロくらいしか持っていきませんが...

    アルハンブラはまだなので、私のこれからの楽しみの1つです。
    ではオヤスミなさいませm(_ _)mZzzzzz..

    kio

    kioさん からの返信 2007/01/22 21:53:17
    RE: 5万円あれば欧州往復チケット GETだ〜〜〜(^-^;
    shinesuniさん こんばんわ!!

    5万円??というタイトルのshinesuniさんのスレッドを
    観た時、なんじゃらほい??という感じでした(^-^;

    <アルハンブラのヘンな思い出>編を読んでくれたのですね。
    東大プライド君がサクロモンテのジプシーが住まうエリアを引き回された時に
    ボラレた総額が5万円!という話でした(*^_^*)
    今から30年前の5万円ですよん(爆)
    今ならアジア系の航空会社だったら欧州往復できちゃいますよね(´ヘ`;)ハァ

    併せて投票も頂戴し有り難うございましたm(._.)m ペコッ
  • SUR SHANGHAIさん 2006/02/20 10:58:02
    いますがな、いますがな。 (^○^)
    わたくしめは最近は昔の旅行記は見合わせて、00年代中心にアップしてるので、この手の人は出てこない旅行記になってますが、思い当たるお方たちはいますがな、いますがな。(^○^)

    自分では行動に移せなくて、くっついて来ては人になんだかんだと文句や注文付け。何なんだ〜〜〜! ≪怒!!&疲!!≫ ですね。

    kio

    kioさん からの返信 2006/02/20 22:30:52
    RE: アルハンブラのヘンな奴の事ですな(・・;) sur shanghaiさんへ
    旅先で出会う人達で記憶に残っているのは真っ当な人達ではなく、
    むしろヘンな人達ばかりですねん(爆)

    でも記憶に残っている東大プライド君の話はここまで・・・

    宿に遅く戻って次の日にも改めてアルハンブラ宮殿に出かけた記憶は
    あるのですが、その時に彼も一緒だったかは記憶にもありませんよ(^-^;


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