2004/10/23 - 2004/10/23
10568位(同エリア10885件中)
Kaijuさん
- KaijuさんTOP
- 旅行記182冊
- クチコミ24件
- Q&A回答2件
- 196,574アクセス
- フォロワー2人
湖西線からちょっと離れて北陸本線を走り、余呉駅へ。
車なら一周もそれほど時間がかからないであろう余呉湖岸を少し歩く。
-
-
本数の少ない普通列車が行き違います。
-
-
-
-
-
-
-
-
町指定天然記念物 余呉湖埋没林
この埋没林は、昭和四十五年に湖水を放水したときに、湖底から当時の鏡岡中学校科学クラブ員が発見したものである。
埋没林は、確認されたものでも三十六株にもおよび約三千年程前の乾期に繁っていた森林の跡である。
余呉湖周辺の地下から約六千五百年前と八千年前の埋没林も見つかっていることから、約三千年ほどの周期で繰り返す、地球の乾期と雨期の古気象学を知るうえで貴重な資料となっている。
この堤は、埋没林を守るため昭和五十三年に設置された。
(昭和五十三年三月十三日町指定)
余呉町教育委員会 -
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
衣掛柳。
余呉湖側から。 -
-
-
味わい深い?木製に墨で書かれた看板。
消えてるけど。
天女の衣掛柳
往古天の八乙女が白鳥となってこの地に舞い降り柳の木に羽衣をかけて水浴中伊香刀美と云う(?)の白大を使って末女の羽衣をかくした。天女は羽衣が無くては天に帰れれず仕方なく伊香刀美の妻となってニ男二女を生んだ。その子孫が伊香地方を開発した祖と伝えられる。又別の説によると余呉の豪士、桐畠太夫の妻となり一男を生んだ。その後天女は羽衣の隠し場所を見つけて天に帰った。残された幼児は母恋しく泣き続けた。
ここより一キロ程北に夜鳴き石がある。その鳴き声が法華経の様に聞こえるので管山寺の僧が引き取り養育した。菅原是清卿が管山寺に参詣された折その子を養子として(?)京都で成人された方が後の菅(?)又この柳は中国系のものであ(?)祀る菅原公はこの衣掛柳の古説と(?)旧跡は余呉町の旧跡として保存してい(?)
こんな感じでしょうか。 -
夜鳴き石ではなく、衣掛柳の碑
-
-
-
-
-
-
-
-
列車を待つ間、余呉駅前にて
-
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
34