2001/04 - 2001/04
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ogasada-travelerさん
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さくらんぼ売りの兄妹(水師営にて): 舞台は沈陽と大連
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沈陽駅: 沈陽は昔の奉天である。今の沈陽駅は新駅で新しく建設されている。奉天は『日露戦争』で最後の奉天会戦が行われ、危うく、日本軍が勝利した所である。今は、その面影はない。
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北陵公園: 沈陽市の中心公園で、園内は良く整備されている。宮殿までは遠く、客車を何台も連ねて電気自動車が
運転している。 -
北陵 1: 清朝初代皇帝ヌルハチによって建造された宮殿で北京の故宮に類似している。後の皇帝乾隆帝らは北京の故宮に移り住んだ。
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北陵 2: 陵墓は広く、今は、夏は涼しく市民の格好の憩いの場となっている。電気自動車が観光客を運んでいる。
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餃子定食: 沈陽の名物料理の一つである。まさに本場の味である。
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撫順炭坑: この炭坑は露天堀が特長である。写真の先に露天堀の現場が展開している。段々ごとに掘り進められ各段には石炭運搬の電気機関車が走り、石炭を運んでいる。広大な規模で先は霞んでいた。
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東鶏冠山: セメントで固められたロシア軍陣地。日本の28cm砲の攻撃でも歯が立たなかったという。その後、攻撃目標は旅順港を見下ろす203高地に移った。
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203高地: 有名な203高地の記念碑である。文字通リ
標高203mの小高い丘である。実際は206mであったが日本軍の激しい砲撃で3m削られたという。 -
おかごは100元: 203mの階段を上るにかごを担ぐ若者が客を引く。日本円で約1000円である。
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爾霊山: ここはロシア軍が旅順港を守るため、トーチカで
固められ、これを攻略した日本乃木軍は甚大な戦死者を出した.乃木将軍の子息もここで戦死している。203に爾霊山の字を当てて霊を慰めている。 -
ロシア塹壕跡: 203高地ロシア陣地の塹壕壁の砲撃の跡は生々しく残されている。旅順攻撃に参加した与謝野晶子の弟を思う『君死にたもうなかれ』はこの時の心情を歌ったもので後世に残る。
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水師営跡地: 1905年1月1日旅順要塞陥落、4日後に
乃木将軍とロシア司令官ステッセル将軍が会談した所。今もそのままの姿で残されている。中には会談の記念写真が飾られている。 -
水師営昼食: 会談は昼食後に行われたという。注文すると今でもその時の食事が昼食として出される。粗末な食事であるが,当時を偲ばせる味である。
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さくらんぼ売り: 日露戦争は彼我の死屍累々、悲しい物語として今も残る。その水師営のレンガ作りの塀の角のところで幼い兄妹が『さくらんぼ』を売っていて、心引かれた。
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花嫁さん: 着飾った花嫁さんは友人達と公園や人民広場などに集まり、記念撮影などをする。ロシアなどでも普通に見られた結婚式風景である。車窓から。
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沈陽観光: バスの車窓から。通リにリヤカーなどに野菜や果物を積んで青空市場である。4月というのに西瓜なども売っていた。中国は広い。南方から運びこんで商売する。
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大連トラ公園: 帰国の日、セメントで作られた大連トラ公園に寄って記念撮影。
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