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クリスマスのイルミネーションで彩られる季節、毎年神戸では「ルミナリエ神戸」が開催されます。阪神・淡路大震災のあった1995年以降、鎮魂の意味をこめ毎年12月に開催されています。<br /><br />阪神・淡路大震災の時はすでに神戸から転居していました。あの日、朝の5時46分頃、突然の激しい揺れで目が覚め、時間とともにだんだんと揺れが大きくなってくるのを感じながらも、隣で眠っていた妻とともにアクションをとる間さえなしの状態に。数十秒にも感じられたものすごい揺れの後、ふたたび大きく揺れ、やがてようやく鎮まり...。幸いにもすぐ隣のタンスが倒れてこなかったので、助かったのでしたが、もし揺れる方向が違っていて横方向だったら、今ごろは...おそらく...。そう考えると命の尊さと有難さをあらためて実感をもって感じます。<br /><br />大学時代は東灘区御影町に下宿していたのですが、よく訪ねてくれた人たちがいました。文化住宅スタイルで、お世辞にもきれいとはいえない建築後30年は経っているような建物。整った神戸のイメージには反して、トイレは汲み取り式で、なんとおつりも返ってくるありさまで、用を足すのにずいぶんと苦労したものでした(笑)。<br /><br />そんな家へ訪ねてきたのは某宗教団体の奥様方でした。最初は断っていたのですが、あまり断るのもと思って一度お話を聞いてしまったのがまずかったのでしょうか。ついに食事に招待されてしまいました。甘い言葉につられお腹もすいていたのか、特に断る理由が見つからず、行くことになりました。連れて行かれた先は、阪神石屋川駅にほど近い木造住宅が密集したとある文化住宅でした。出てきたのはご主人に可愛い感じのふたりの女の子。当時お姉さんは高2、妹は中3でした。部屋には、ハンガーにセーラー服が吊るされ、勉強机に本棚もあったところを見ると、わざわざ食事をもてなすために、スペースをとってくれたのだとわかりました。あまり大きな家でもなく、またりっぱとは言えませんでしたが、こぎれいで温かい雰囲気だったことを覚えています。<br /><br />それから何度か招待され親しくはなりましたが、その宗教に興味を持つというよりも、いっしょに楽しい時間を過ごしたいというそんな気持ちからだけでした。やがて卒業とともに就職。神戸の下宿からは転居で、それから会うことはありませんでした。<br /><br />再びその家族のことを知ったのは、1995年の大震災でした。テレビでも流されていた映像でもっともショックだったのは、阪神石屋川駅周辺の映像。当時石屋川には阪神電鉄の車庫があり、石屋川を終点とする電車の数もかなりありました。そのテレビの映像からは、脱線し転覆したおびただしい数の車両が映し出されていました。そしてその映像の下のほうには、今まさに出火したかのように炎が真っ赤になって上がっていました。数人のヒトが外に出ているのが見えましたが、どうしようもなく、なすすべもなく、ただただ呆然と立っていました。 <br /><br />..........................................................<br /><br />大学3年の春に約40日間ヨーロッパを旅行したのですが、その家族はわざわざ出発前、特別に食事会を開いてくれました。食卓の上にはたくさんのご馳走が。貧乏学生で食生活に恵まれていなかった者としてはヨダレがたらりの食事内容。それからヨーロッパの地図を見ながら、これから行く国々について話をしながら、時間だけが過ぎていきました...。見ず知らずの者なのにここまでしていただき、うれしいやら申し訳ないの気持ちでいっぱいに。感謝の気持ちを伝えると、なんと帰り際には餞別も用意して下さっていました。<br /><br />日程があってないようなフリーの旅行だったので、だいたいのスケジュールを事前に渡して、「もし何かあれば中央郵便局留めで手紙を書いてください」と伝えておいたところ、旅に出て後半のアムステルダムでその家族から手紙が届いていました。神戸の懐かしい住所、そして久しぶりの日本語の文字を見ると、すこし目がウルウル。封筒の中には、奥様の達筆な字と長女の高校2年生のマル文字で書かれた手紙がそれぞれ入っていました。内容は正確に覚えていませんが、近況報告と旅先での健康管理について書いてあったように思います。<br /> <br />やがて帰国。再びその家を訪れ、お土産を渡して、写真などを見せると「すごいね〜」と言っていっしょに旅を振り返ったことを懐かしく思い出します。とくに2人の姉妹は目を輝かせながら写真に見入っていました。<br /><br />........................................................<br /><br />ヘリコプターからの映像は、そんな思い出をかき消すかのように、無残にも石屋川周辺の家々を火で覆っていきました。後で聞いたところによると、特にこのあたりは住宅の崩壊と火の勢いが強かったとのこと。木造の古い家が多かったのが理由のようです。<br /><br />やがて何日たってからでしょうか、新聞の死亡者欄にその家族のふたりの名前を見つけることになりました。奥様と当時中3だった妹さんの名前でした。あの映像に映っていたあの炎の中で...そう思うだけで胸が痛くなる思いでした。言葉では表すことのできない気持ちでした。<br /><br />ルミナリエの光、そのひとつひとつには様々な思いがこめられています。<br /> <br /><br />

クリスマス in 神戸

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2001/12 - 2001/12

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crossword

crosswordさん

クリスマスのイルミネーションで彩られる季節、毎年神戸では「ルミナリエ神戸」が開催されます。阪神・淡路大震災のあった1995年以降、鎮魂の意味をこめ毎年12月に開催されています。

阪神・淡路大震災の時はすでに神戸から転居していました。あの日、朝の5時46分頃、突然の激しい揺れで目が覚め、時間とともにだんだんと揺れが大きくなってくるのを感じながらも、隣で眠っていた妻とともにアクションをとる間さえなしの状態に。数十秒にも感じられたものすごい揺れの後、ふたたび大きく揺れ、やがてようやく鎮まり...。幸いにもすぐ隣のタンスが倒れてこなかったので、助かったのでしたが、もし揺れる方向が違っていて横方向だったら、今ごろは...おそらく...。そう考えると命の尊さと有難さをあらためて実感をもって感じます。

大学時代は東灘区御影町に下宿していたのですが、よく訪ねてくれた人たちがいました。文化住宅スタイルで、お世辞にもきれいとはいえない建築後30年は経っているような建物。整った神戸のイメージには反して、トイレは汲み取り式で、なんとおつりも返ってくるありさまで、用を足すのにずいぶんと苦労したものでした(笑)。

そんな家へ訪ねてきたのは某宗教団体の奥様方でした。最初は断っていたのですが、あまり断るのもと思って一度お話を聞いてしまったのがまずかったのでしょうか。ついに食事に招待されてしまいました。甘い言葉につられお腹もすいていたのか、特に断る理由が見つからず、行くことになりました。連れて行かれた先は、阪神石屋川駅にほど近い木造住宅が密集したとある文化住宅でした。出てきたのはご主人に可愛い感じのふたりの女の子。当時お姉さんは高2、妹は中3でした。部屋には、ハンガーにセーラー服が吊るされ、勉強机に本棚もあったところを見ると、わざわざ食事をもてなすために、スペースをとってくれたのだとわかりました。あまり大きな家でもなく、またりっぱとは言えませんでしたが、こぎれいで温かい雰囲気だったことを覚えています。

それから何度か招待され親しくはなりましたが、その宗教に興味を持つというよりも、いっしょに楽しい時間を過ごしたいというそんな気持ちからだけでした。やがて卒業とともに就職。神戸の下宿からは転居で、それから会うことはありませんでした。

再びその家族のことを知ったのは、1995年の大震災でした。テレビでも流されていた映像でもっともショックだったのは、阪神石屋川駅周辺の映像。当時石屋川には阪神電鉄の車庫があり、石屋川を終点とする電車の数もかなりありました。そのテレビの映像からは、脱線し転覆したおびただしい数の車両が映し出されていました。そしてその映像の下のほうには、今まさに出火したかのように炎が真っ赤になって上がっていました。数人のヒトが外に出ているのが見えましたが、どうしようもなく、なすすべもなく、ただただ呆然と立っていました。 

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大学3年の春に約40日間ヨーロッパを旅行したのですが、その家族はわざわざ出発前、特別に食事会を開いてくれました。食卓の上にはたくさんのご馳走が。貧乏学生で食生活に恵まれていなかった者としてはヨダレがたらりの食事内容。それからヨーロッパの地図を見ながら、これから行く国々について話をしながら、時間だけが過ぎていきました...。見ず知らずの者なのにここまでしていただき、うれしいやら申し訳ないの気持ちでいっぱいに。感謝の気持ちを伝えると、なんと帰り際には餞別も用意して下さっていました。

日程があってないようなフリーの旅行だったので、だいたいのスケジュールを事前に渡して、「もし何かあれば中央郵便局留めで手紙を書いてください」と伝えておいたところ、旅に出て後半のアムステルダムでその家族から手紙が届いていました。神戸の懐かしい住所、そして久しぶりの日本語の文字を見ると、すこし目がウルウル。封筒の中には、奥様の達筆な字と長女の高校2年生のマル文字で書かれた手紙がそれぞれ入っていました。内容は正確に覚えていませんが、近況報告と旅先での健康管理について書いてあったように思います。
 
やがて帰国。再びその家を訪れ、お土産を渡して、写真などを見せると「すごいね〜」と言っていっしょに旅を振り返ったことを懐かしく思い出します。とくに2人の姉妹は目を輝かせながら写真に見入っていました。

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ヘリコプターからの映像は、そんな思い出をかき消すかのように、無残にも石屋川周辺の家々を火で覆っていきました。後で聞いたところによると、特にこのあたりは住宅の崩壊と火の勢いが強かったとのこと。木造の古い家が多かったのが理由のようです。

やがて何日たってからでしょうか、新聞の死亡者欄にその家族のふたりの名前を見つけることになりました。奥様と当時中3だった妹さんの名前でした。あの映像に映っていたあの炎の中で...そう思うだけで胸が痛くなる思いでした。言葉では表すことのできない気持ちでした。

ルミナリエの光、そのひとつひとつには様々な思いがこめられています。
 

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