2003/11 - 2003/11
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LaoBeijingさん
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数日前に降った雪のまだ残る、冬のある寒い日に自転車で胡同巡りに出かけた。
この日のコースは后海周辺から鼓楼・鐘楼、地安門付近を進んだ。
この時の私の最終目的地は地安門の甘栗屋の裏の、とある胡同であった。
映画の「ラストエンペラー」を御存知だろうか。言わずと知れた、中国史上最後の皇帝、溥儀の数奇の一生を描いた映画だが、この映画ではピーター・オトールが演じていた、溥儀のイギリス人家庭教師ジョンストンの住んでいた胡同がそこにまだ残っていると聞いたからだ。
と言う訳で私達は地安門の甘栗屋で栗を買い、しばらくそれを食べた後(余談だが私はここの栗が北京で一番美味しいのではないかと思っている)裏の胡同へと入っていった。
北京の街どこにでも言えることだが、表通りは騒がしく、車通りの多いのだが、裏道へ一本入ると途端に表通りの喧騒が多い場所のものとなる。
だが、ジョンストンが住んでいたとは言っても観光化されているわけでも、文化財として残していると言う訳でもなく、今でも普通の家として普通の北京人が住んで生活しているのである。当然看板なども出ているわけがなく自力で探さなくてはならない。
始めは子守りをしていたおばあさんに聞いたのだが答えずに逃げられてしまった。それで弱気になりつつも他の人に聞いてみたところ快く教えてくれた。その胡同の1号に当る四合院がそれらしい。
そこに行ってみると1件の大き目の四合院だった。彼の著書で、後に論争を巻き起こすことになる『紫禁城の黄昏』の中には、宮廷で事件が起こった時に自宅まで使者が来たと言う描写があるが、その際舞台になったのはここである。
かつて清代では北京の内城には満州族しか住めなかった。ジョンストンが住んでいたのは既に民国期だったが、故宮や景山をちょっと北に行くだけのロケーションではやはり裕福な階層以外は住むことは難しかっただろう。
後にジョンストン彼自身は、王朝内の「旧体制」と衝突をしつつも頤和園の管理人としての地位を得て、帰国後に前述『紫禁城の黄昏』を書いて世を去ることになる。
王朝の華やかな「旧体制」と、目の前で道に出したソファで気持ちよさそうにくつろぐ老北京の老人との生活を頭の中で比べてみた。
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