ゆうゆさんへのコメント一覧全2件
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RE: ワルシャワ蜂起博物館
ゆうゆさん 今日は。時間がなくて蜂起博物館を訪問できなかったので、参考になりました。大統領官邸のまえの花束は、2010年4月22日にベラルーシのカチンの森事件(2万数千人のポーランド将校がソ連の秘密警察に殺された。エスとニアでも同様の事件あり)の追悼に大統領一行が出かけた際、濃霧のため大統領機は墜落しました。花はそのなくなった大統領一行に対する顕花です。
また、蜂起博物館の航空機(4発爆撃機)は、英国空軍がワルシャワ市民に救援物資を投下する際に使われたもの(同じタイプ)です。ワルシャワの東数キロ先に進出していたソ連軍は、ドイツ軍が市民を殺戮するのを見届けたあと、ワルシャワに進駐しました。このとき、市内の建物83%が破壊されました。2011年02月21日15時40分返信するコメントありがとうございます★
大統領機の墜落に関しては、ニュース等である程度は知っていました。
実際見ると一国の重要人物が一度に亡くなってしまうということの
重大さをさらに感じました。
蜂起博物館の展示内容については、中々詳しいことまで理解できていなかったので大変参考になりました!
展示してある飛行機にはナチスのマークが付いていたのですが、
英国空軍と同じ型の飛行機を使って殺戮を行ったということでしょうか?
ワルシャワの街並みはほとんどが再建されたものだそうですが
何もない状態からあそこまで再建するという市民の力は本当にすごいと思いました!!!
2011年02月21日20時57分 返信するRE: コメントありがとうございます★
ゆうゆさんへ
展示してある飛行機にはナチスのマークが付いていたのですが、
> 英国空軍の飛行機を使って殺戮を行ったということでしょうか?
いいえ。ナチスのマークの上に白い鳩?があったのでは。ナチスに対する爆撃を意味するイラストでしょう。英国空軍(二重丸のマーク)は、ワルシャワで蜂起した市民に救援物資・武器を投下するため飛来しました。なぜなら、ロンドンには亡命ポーランド政府があり、その指示で市民が蜂起しましたからです。それはワルシャワ東部にソ連軍が迫っており、ワルシャワ開放も近いと判断したからです。しかしながら、ソ連政府は傀儡政権(ルブリン政府→戦後のポーランド政府)を樹立し、ポーランドの統治のためワルシャワ市民がドイツ軍に抹殺されるのを傍観していました(見殺し)。ソ連はイギリスから飛来した英国空軍機をソ連占領地(ポーランド東部)に着陸するのを許可しませんでした。ポーランド亡命政府を支持し、(ソ連の後押しした)傀儡政府の樹立に反対するワルシャワ市民は不必要な存在でしたからです。ポーランドにいけば、ソ連が嫌いという人が数多くいます。
> ワルシャワの街並みはほとんどが再建されたものだそうですが
> 何もない状態からあそこまで再建するという市民の力は本当にすごいと思いました!!!たとえば、王宮のシャンデリアは、ボヘミヤ(チェコ)にある工房で作られたことを突き止め(工房に記録が残っていた)て、同じものを作成依頼したと聞いています。
>2011年02月22日12時30分 返信する



