東大寺お水取りを見る。
我が家の長男が生まれたのは、うるう年の3月1日だった。
2月29日ではなく、3月1日だったのでホッとしたが、名前は大好きな奈良にちなんで、修一と命名した。奈良の東大寺の「修二会」に因んだでの命名であった。
この法会は天平勝宝4年<752>から、今日まで一度も欠かすことなく勤め続けられてきたのだから、それだけでもすごいことだ。
ちょうど、展覧会の間で予定のなかった先週12日からお水取り<お松明>を見に行ってきた。
春を待つ奈良の年中行事となっているが、今は全国から、外国からも見に来る人々であふれていた。
奈良駅で「交通規制のお知らせ」3月12日というチラシを入手、宿の奈良ホテルでも地図や鑑賞スポットの資料を入手した。
16時前にチェックインするなり、早めにいかないと良いスポットに入れませんといわれたので、荷物を置くなり、16時半には会場に向かった。
大仏殿に入ることなく、猫段を上がり、大鐘広場を通って四月堂まで上がると、もう人であふれていた。時刻は17時前。ベストポジションの北登廊の脇、二月堂の真下は招待席という。我々が入れるのは寺務所に行く石段手前の広場。早く行ったので、明るいうちから、立ったまま、お松明の始まる19時半まで待つことになった。
その間の時間をどう過ごすか、考えていけばよかったのだが、何もすることがなかった。
警備に当たる警官達の、「DJポリス」ならぬ、自分の紹介やらの漫談に近い会話がせめてもの救いだった。
その説明によると、我々はまだ開始から15分、お松明で言うと3本までは見れるという。あとは動いて出口に進んで終わりという。立ち止まって見ることは出来ないという案内だった。
いざ、暗くなって、みると、ちょうど、目の前の石灯篭や二月堂の良弁杉が邪魔になって視界不良、加えて動けない状態なのでばかちょんカメラではうまく撮れない。
新聞で見る写真は多重露光によるもの。
奈良の夜はまだ寒いので、防寒対策も必要だった。
3月1日から14日まで、11名の錬行衆が続けている行の一端を見ることができただけでも良かった。
この行事は、行の12日目<12日深夜>行われる水取の儀式に因んで「お水取り」と呼ばれているのだ。近くの奈良国立博物館では「特別陳列お水取り」が毎年開かれているので、それを見るとより理解が深まる。
宿にした奈良ホテルは、パンフレットによると、「明治42年に『関西の迎賓館』として創業」とあるほどの老舗ホテルだが、新館でさえ、日本人の小生さえ、足が出るほどのベットでは、景観は良くても、ちょっとおごりすぎではないか。