エストニア・タリン:ロシアのピョートル大帝が建てたカドリオルク宮殿と公園は秋より春の時期の方が美しいかもしれない。
- 3.5
- 旅行時期:2009/10(約15年前)
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by jijidarumaさん(男性)
タリン クチコミ:8件
【バルト三国紀行:美しき中世の街並み】
2009年10月19日(月)~26日(月)
訪問地;
Lithuaniaリトアニア
・首都Vilniusヴィリニュス及び、かつての首都Kaunasカウナス
Latviaラトヴィア
・首都Rigaリガ
Estoniaエストニア
・大学都市Tartuタルトゥ及び、首都Tallinnタリン
<2009年10月24日(土)エストニアの首都タリンは曇り、 ~8℃。>
午前中の最初の目的地はタリン近郊4kmにある黄葉のカドリオルク公園である。
徒歩で白鳥の池を見ながら、カドリオルク宮殿の方に歩く。
途中、エストニア独立の英雄の一人であるJaan Poskaヤーン・ポスカの座像(タリンの各所にその名を残し、カドリオルグ地区にポスカが住んでいた家があり、その通りが「ヤーン・ポスカ通り」となっている。この通りに彼の銅像が建っており、また路面電車の「ヤーン・ポスカ電停」が存在するというから、彼の銅像なのだろう)がたっていた。。
【カドリオルク宮殿と公園(1723年)】
A. Weizenbergi 26, 10127 Tallinn Estonia
(9:15~9:50)
現在、カドリオルク宮殿は美術館になっているのだが、この日は入館しなかった。
大北方戦争(1700~21年、ロシアを主にした北方同盟・・デンマーク、ノルウェー、ドイツ諸侯が参戦・・と当時大国であったスウェーデン・・英国、オスマン帝国など連合・・の戦いで、ロシア側が勝利した)後、バルト地域を手に入れた、ロシアのピョートル大帝(1672年~1725年)が妻エカテリーナⅠ世(リヴォニアの農民の娘で、後に大帝の跡を継ぎロシア史上最初の女帝となった)の為に作った離宮である。小さな離宮はロシア支配下の地に建てられたわけだが、離宮は当時の文化先進国フランスのヴェルサイユ宮殿を模したと云われていて、フランスの影響はバルト地域(後のバルト三国)にも及んでいた。
この事もあってちょっと立ち寄ってみたのだが、宮殿の屋根の緑、ピンク色の壁の配色も美しく、離宮前の花壇があった。花が咲く季節はまた一段と見栄えがあるでしょう。
(どこそこのヴェルサイユ宮殿という呼び方は欧州には多い。それはドイツでもあり、「北方の小さなヴェルサイユ宮殿」というメクレンブルク地方にあるルートヴィヒスルスト宮殿を訪れた事がある)
この後、これも直ぐ近くの【歌の原(Lauluvaljak)】・・・エストニア・タリン:バルト三国の歌と踊りの祭典は世界無形遺産だが、エストニアがもっとも古く、“歌う革命”として知られる場所・・・に向かう。
- 施設の満足度
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3.5
- 利用した際の同行者:
- カップル・夫婦(シニア)
- 観光の所要時間:
- 1-2時間
- アクセス:
- 4.5
- 景観:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 4.0
クチコミ投稿日:2024/06/02
いいね!:5票
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