世界最大と呼ばれていた(旧)日本人街の面影:「大阪橋」や「三重橋」が、まだ残る...サンパウロ東洋人街(リベルダージ/サンパウロ/ブラジル)
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- 旅行時期:2019/05(約7年前)
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by コタ(Kota)1号さん(非公開)
サンパウロ クチコミ:348件
色々な意味(ここはその昔、奴隷売買の市場であり、大きな墓地があった場所)で余り良い土地ではなかったここ『リベルダージ』は、安い値段で売り出されていたそうです。
それを「(日系移民の父と呼ばれる)上塚周平」という政府関係の方が、ここ一帯をまとめて安く購入し、当時まだ貧しくて土地を持てなかった多くの日系移民たちに安価で分譲したんだそうです。
これが「リベルダージ」という場所が日系移民の街になった所以だそうです.....
さてこの『大阪橋』と呼ばれる橋が、ここにまだ残っています。
1969年10月(47年前)に架けられた橋です(サンパウロ日本人街が最も栄えた1950年代。それから20年が経ち、日本人街が落ちぶれた際に架けられたものです.....)。
過去を振り返ると...この場所には日本人街のシンボルであった「シネ・ニテロイ」と呼ばれる有名な日本映画館があったそそうです。
ところが、1968年8月に東西自動車道の建設の為(今はこの大阪橋の下を走っている高速道路)、この街の全ての様相が変わってしまったという言う事です。
この東西自動車道の工事・開通で、表面的には、日本人街としての文化が途切れ、この街の新たな歴史がスタートしました。
この東西道(+地下鉄南北線)の工事を契機に、日本人街と呼ばれていたこの街は「東洋人街」と名前を変えていったんです。つまりこの地が日本人街と呼ばれていたのは、もう50年近くも前の話。
- 施設の満足度
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4.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- 観光の所要時間:
- 1-2時間
- アクセス:
- 5.0
- 景観:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
クチコミ投稿日:2019/05/26
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