第二次世界大戦後に東西ドイツの境界になった門です。
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- 旅行時期:2018/07(約6年前)
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by nichiさん(男性)
ベルリン クチコミ:27件
元々ベルリンは城郭都市で、ぐるっと塀に囲まれた街でしたが、争いが減り軍事的要素が必要なくなると、1,734年、14か所に関税門が造られ、通行する物資に税金が課せられました。
門の先にある地域の名前から門の名前が付けられ、ブランデンブルグ門も例外ではありませんでした。
1788年から1791年にかけて、平和の勝利を記念する「平和門」建造されました。
しかし完成直後にナポレオンによりベルリンは征服されブランデンブルク門のヴィクトリア像はフランスへ戦利品として持ち去られました。その後のナポレオン戦争によりプロイセン軍がパリを占領すると、ヴィクトリア像は門の上に戻されました。門は凱旋門となり、門のあるカレ広場はパリ広場に改名され、ヴィクトリアの持つ杖には勝利を記念して鉄十字紋章が取り付けられました。
第二次世界大戦後は旧東西ベルリンの境界に位置し、現在は東西ドイツ統合の象徴とされています。
- 施設の満足度
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3.5
- 利用した際の同行者:
- カップル・夫婦(シニア)
クチコミ投稿日:2018/12/03
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