ゲバラファンには感慨深いものがあります。
- 4.0
- 旅行時期:2018/05(約6年前)
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by nichiさん(男性)
ハバナ クチコミ:28件
カバーニャ要塞を出て徒歩でチェ・ゲバラ邸に向かいました。
警備員に道を聞いたら英語が通じて
「右へ行ってさらに右。あとはまっすぐ。歩いて10分だよ。」
と教えてくれましたが、道は教えられた通りでしたが徒歩20分もかかりました。
炎天下の中の徒歩20分だったので、きつかったです。
こんなことだったらタクシーに乗ればよかったです。
途中、戦闘機や軍用車の残骸が展示してある博物館の前を通りました。
キューバ革命の時の残骸を集めた博物館だと思われます。
ゲバラ邸に到着。
ここでチケット購入
CUC6×2人
壁に大きく
che
と書かれています。
チェ・ゲバラのチェとは、
「ねえ」とか「やあ」と言う意味です。
なんと、スタッフが流ちょうな英語で説明を始めました。
ガイドツアーを申し込んではいません。
ハバナ旧市街での市立博物館におけるいやーな目撃経験が頭をよぎりました。
でも、綺麗な英語だし、そもそもチェ・ゲバラを感じることが今回の目的の一つでもあるので、謙虚に説明を聞くことにしました。
結果的には素晴らしい丁寧な解説で、チップも受け取りませんでした。
キューバ革命で独立を果たした後、この家に住んだチェ・ゲバラ。
国立銀行総裁に就任した際、それまでフルネームで行うことが慣例だった紙幣へのサインに「チェ」とだけ記したとのこと。
新キューバ政権下で国立銀行総裁や工業大臣を務めていた時の家がここです。
その割には質素な家です。
ガイドさん「あなた方は日本人ですか?」
家内「はいそうです」
それから初めて聞く話を伺うことができました。
チェ・ゲバラは1959年に日本を訪れていたとのこと。
車や飛行機、精密機器の工場を見学し、広島で原爆ドームに献花をして帰国したそうです。
「日本人は何故アメリカに対して、戦争で原爆を投下したことを抗議しないのですか?」
と聞かれ、私たちはビックリ!
実はこの質問、来日時にゲバラが日本の新聞記者に対して聴いていたそうです。
夜、ホテルに帰ってググってみたら、1,959年にゲバラ来日の件の情報がいくつもありました。
当時はあまりニュースにもならなかったとも。。
ゲバラが来日した翌年、日本とキューバの通商協定が締結されています。
そもそもかなり美男子だったゲバラです。
ジョン・レノンはゲバラのことを
「世界で一番格好良い男」
と言ったそうです。
外観だけでなく、その生き方のことを言ったんでしょうね。
知りませんでした。
キューバ政府の要職に就いていたゲバラがなぜコンゴ動乱後,
混乱が続く現地で革命の指導を試みたのか?
何故ボリビアで亡くなったのか?
ここで色々とガイドさんの説明を受けました。
医師であるが故、病んでいる人をほっておけない。
よって、国が病んでいると革命と言う処方箋を持ってその国の国民を救いたい。
という理解でした。
「人は毎日髪を整えるが、どうして心は整えないのか?」
ゲバラ日記の中に出てくるゲバラの有名な言葉です。
ガイドさんからこの話が出てきた時、少しうれしかったです。
- 施設の満足度
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4.0
クチコミ投稿日:2018/11/25
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