レジスタンス活動か火薬の変質か?火薬爆発により破壊されたホーコン王の館
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- 旅行時期:2014/06(約12年前)
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by kirstiNorgeさん(非公開)
ベルゲン クチコミ:4件
1.訪問の経緯
別の博物館を訪問する目的で歩いていたら偶然発見。
2.ノルウェーと第二次世界大戦
?厳正中立
ノルウェーは他のスカンジナビア諸国 デンマークとスウェーデンとともに第一次世界大戦と同様に中立を宣言していた。
?1940年4月9日ドイツ軍のノルウェー急襲と占領
a ドイツのノルウェー占領目的
ナルヴィックからドイツへの鉄鉱石の輸送路の確保
ノルウェー各港から北大西洋及び北海へのドイツ艦艇の出撃及び補修
b オスロの場合
1940年4月9日オスロへの入口 ホルテン港ノルウェー海軍艦艇及びオスカースボルク砲台により、オスロ占領軍を乗せたドイツ重巡洋艦ブリュッヘル沈没、水雷艇アルバトロス難破、軽巡洋艦エムデン損傷させ、ドイツ軍によるオスロ占領を一日遅らせることとなった。この間、ノルウェー国王は陸路と海路により、イギリスに脱出し、亡命政府を樹立する。
c ベルゲンの場合
1940年4月9日ドイツ軽巡洋艦ケルン、ケーニヒベルク、砲術練習艦フレームゼとその他の小艦艇がベルゲン急襲。
ベルゲン砲台と交戦。砲術練習艦フレームゼに損傷を与える。ドイツ軍はベルゲン占領。
1940年4月10日イギリス艦載機爆撃によりドイツ軽巡洋艦ケーニヒベルク沈没
d ベルゲンの反独感情とレジスタンス活動
第一次世界大戦中ノルウェーは中立宣言していたにも関わらず、多数の商船及び漁船がドイツUボートによって攻撃沈没させられた。
ベルゲンはオスロと比較して、反独感情が強くドイツへのレジスタンス活動が活発であったと別の博物館では説明していた。
これに対して、オスロ在住ノルウェー友人は、「ノルウェー各地には町の数だけレジスタンス博物館があり、ベルゲンの博物館の主張は一つの意見として聞いて置くように」
と忠告された。
3.1944年4月20日ベルゲン港停泊中火薬運搬船爆発原因
1944年4月20日ベルゲン港停泊中火薬運搬船爆発によりホーコン王の館及び周辺の建物が破壊され、多数のノルウェー市民が死亡した。
この原因について、The stable buildingの展示はレジスタンス活動によるものと推定している。
ここから一キロと離れてない別の博物館では火薬の変質による原因と推定している。
多数の死者が予測されることをレジスタンスが行うことには疑問であり、戦艦三笠も半舷上陸中に火薬の変質により、爆発沈没したことがあり、私見としては火薬変質説を採りたい。
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3.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- 観光の所要時間:
- 1-2時間
- アクセス:
- 3.0
- コストパフォーマンス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 展示内容:
- 3.0
クチコミ投稿日:2014/09/22
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