ダバオの町の基礎を作ったのは優秀は日本民族
- 5.0
- 旅行時期:2013/09(約11年前)
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by Kannu -Kannuさん(女性)
ミンダナオ島 クチコミ:13件
明治末期から戦前まで、最高で2万人の日本人が住み、日本人町があり、日本人学校もあり、あちこちで日本語が通じたそうです。
未開のジャングルだった地を都市化した基礎は勤勉で丁寧な仕事をする日本人移民たちでした。
もともと、一部の白人がアバカ麻の農園を持ち、現地の人を使って生産していたのだが、
現地人は気が向かないと仕事を休んだり、勤勉さに懸けていた。
そこでまじめで勤勉、丁寧に仕事をする日本人民族の評判を聞きつけたフィリピン政府(当時はアメリカの統治下ではあったが)、日本人の移民を申し出、受け始めた。
最初は、マニラからバキオまでの道路建設のために呼び寄せられたが、完成と共に失業した日本人たちが、ダバオでのメシの種(アバカ麻の栽培)を求めて移ってきた。
アバカ麻は舟のロープに使う、戦前まで最強の繊維だった。
やがて、彼らの中から、アバカ麻の農園の持ち主になる人もでてきて、第一次世界大戦のあおりでアバカ麻の値段が高騰し、成金も増えてきた。
多くの日本人移民と現地人女性との結婚の結果、日本人子孫も多い
その当時の生活が偲ばれる資料館です。
展示物は英語表示のみ
当時の地図を見ると、今の市街地の中心地は日本人家屋、日本学校、日本領事館、日本のお寺、日本の店、ホテルばっかり。
いかに勤勉な日本人たちが現地の原住民と調和しながら、ジャングルだった土地を都市化して行ったか、、
昔懐かしい、五右衛門風呂などもおいてありました。
その統治から、西本願寺、東本願寺と別々にあり、ダバオ郊外の日本人町にも、日本のお寺、がありました。
現在主要な学校の跡地はもと日本人学校だったところが大多数
ダバオの繁栄の基礎地盤は日本人移民によるものです
- 施設の満足度
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5.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- 観光の所要時間:
- 1-2時間
- アクセス:
- 1.5
- 市内からタクシーで300ー400ぺそ 交通機関40ぺそ
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- 入館料20ぺそ 日本円で60円ぐらい
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- ガラガラ
- 展示内容:
- 4.0
- 戦前までのアバカ麻の栽培に従事した日本人移民の生活資料館
クチコミ投稿日:2014/01/11
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