西太后の贅沢で有名ながら、本来の歴史的逸話も興味深い巨大庭園
- 5.0
- 旅行時期:2012/05(約14年前)
-
-
by こまちゃんさん(男性)
北京 クチコミ:79件
沢山の方が紹介していますので、内部の一部分に着目してみました。
興味ある方は、是非目を通してみて下さい。
楽寿堂:
楽寿堂は、普段西太后が生活を送っていた四合院。
すぐ傍に昆明湖を望み、門の外には西太后が乗船する為の、「水木自親」と呼ばれる桟橋が設置されている。
「楽寿堂」の扁額の文字は、光緒帝による書。
堂内は西側が寝室、東側が更衣室になっていて、中央は西太后の居室。
玉座や御卓、掌扇、屏風などが並び、玉座前の青花磁の器や4基の大香炉も含め、全て西太后が生前使用していた物だそうです。
建物の正面には銅製の鹿、鶴、大瓶が並んでいるが、これは「六合太平」の漢字の発音に因んで配置されているそうです(鹿鶴大瓶≒六合太平)。
(六合太平:意味からは天下泰平となる。六合は天下を表し、強いては宇宙を意味して、上下東西南北の六つの空間を指す)
また中庭には玉蘭、カイドウ(海棠)、牡丹などの花木が植えられているが、これも「玉堂富貴」という言葉にちなんだものだそうです。
西太后の部屋でもある楽寿堂の前に、とても大きな石が転がっているのは些か不自然ですが、それはこの石の言い伝えに関係する物語があるからです。
明代、この石の故郷は深い山奥なのですが、米万鐘という官人がいましたが、彼は奇妙な形状の石を収拾してばかりいました。この青いマンネンタケの様な石は、その山に来た際に意の一番に気に入りました。
彼はこの石を、自分の財産を省みず家まで運ばせてしまい、その後支払いに追われ破産してしまいました。
その為この大きな石は、“敗家石(家を破滅させる石)”と皆から呼ばれ、村の道端に捨てられました。
清代になり、その話を知った乾隆皇帝はこの石がすこぶる気に入ってしまい、是が非でも楽寿堂の間口に置きたい!と言う事で、「家を破産させるかどうか」や「縁起が良いかどうか」など、全く考える猶予を無くしていました。
取り寄せた石が漸く到着したのですが、その時既に楽寿堂は完成してしまっていました。
「こんな大きい石、どうやって中に入れるんですか?壁を壊すしか有りませんよ!」
その時、やはりこの「家を破産させる石」は、本当に乾隆皇帝を敗退させてしまう石だと確認したそうです。
でも、その石をそのまま残す乾隆皇帝は粋な事をしましたね。
それらを紹介した旅行記も載せておきました。
ご参考まで。
- 施設の満足度
-
5.0
- 観光の所要時間:
- 半日
クチコミ投稿日:2012/07/18
いいね!:0票
利用規約に違反している投稿は、報告することができます。 問題のある投稿を連絡する