マリー・アントワネットの独房が残るパリのコンシェルジュリー(2006年10月3日)
- 4.0
- 旅行時期:2006/10(約18年前)
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by さすらいおじさんさん(男性)
パリ クチコミ:7件
マリー・アントワネットの独房が残るパリのコンシェルジュリー(2006年10月3日)
マリー・アントワネット(1755-1793年)は、フランス国王ルイ16世の王妃。
オーストリア・ハプスブルク家、マリア・テレジアと神聖ローマ皇帝フランツ1世の11女でウイーン生まれ。フランス革命中、ギロチンで斬首刑にされた。
1770年、14歳でルイとヴェルサイユ宮殿で挙式、1774年、ルイ16世の即位で18歳でフランス王妃となる。
1789年、王政に対する民衆の不満からフランス革命が勃発しヴェルサイユ宮殿からパリのテュイルリー宮殿に身柄を移されたが、1791年にフランスを脱走してオーストリアの兄レオポルト2世のもとに脱出を試み失敗。1792年、フランス革命戦争が勃発テュイルリー宮殿からタンプル塔に移され幽閉される。
1793年1月、ルイ16世がギロチンで斬首刑にされ、マリー・アントワネットは8月にコンシェルジュリー牢獄に移され、10月16日、コンコルド広場でギロチンで斬首刑にされた。
マリー・アントワネットは無類の浪費家でフランス王室の財政を圧迫させたこと、ヴェルサイユ宮殿の品位を低下させたことなどが誇張流布され市民の反感を買っていたが、さらにフランスの情報を実家であるオーストリア皇室などに流したことなどが反逆罪とされ死罪となった。贅沢三昧の宮廷生活から一転、牢獄に収監され最後に民衆の罵声を浴びながらギロチンの露と消えたマリー・アントワネットは時代の犠牲者とも言えるだろう。コンシェルジュリーでは2.5ヶ月監禁されていた独房にマリー・アントワネットの蝋人形が置かれており、牢獄での様子を見ることができる。コンシェルジュリーにはカルト・ミュゼ2日券(30ユーロ・4500円)が使用できた。
旅行記;http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10112528/
(写真はコンシェルジュリー牢獄のマリー・アントワネットの蝋人形)
- 施設の満足度
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4.0
- 観光の所要時間:
- 1-2時間
クチコミ投稿日:2007/09/25
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