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旧上海県城

旧市街・古い町並み

上海

観光の所要時間:
1-2時間

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旧上海県城 https://4travel.jp/os_shisetsu/10463167

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クチコミ 2ページ目(36件)

21~36件(全36件中)

  • 文廟路は旧県城の中にある文廟に通じる道なので文廟路です。文廟は1294年に建造された孔子を祀った廟です。中国では武の関羽、...  続きを読む文の孔子と人気の神様です。文廟路は門前町として大変繁盛したようです。文の神様なので書店、文房具、児童向けに玩具等の店が多かったようです。毎週日曜日には書籍業者が集まって古本市を開催、多くの客が集まっています。入場料1元。7:30~16:00
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    投稿日:2013/12/08

  • 蓬莱路は旧県城内の河南南路を挟んで両方の地域に存在します。蓬莱路は旧県城内では珍しくプラタナス並木のあり、歩道も確保された...  続きを読む商店街の路です。また沿道には歴史的な建造物も多く、旧県城内ではさぞかし主だった路だと思われます。1748年創建の申江書院は現在敬業中学と成り、1923年建造された石庫門住宅の普育里、1915年建造の上海市特別市臨時政府旧址など文廟路の隣だけに学校が多い。いずれも改装されていて地元政府の保存して行こうと言う姿勢が見られます。  閉じる

    投稿日:2013/12/08

  • 方斜路は地下鉄8号線陸家浜路駅より陸家浜路を西へ行った所に入口があり、産婦人科院と育児用品の店が多い通りです。ここには復旦...  続きを読む大学付属婦産科医院・上海市紅房子婦産科医院があり、病棟が8棟もある上海では最大の産婦人科医院です。通称紅房子医院と言い赤煉瓦の建物からこの名前が付きました。1884年建設。方斜路419号。米国の婦女連合布教会(W.U.)が創設した産婦人科、小児科病院です。病棟内には入れませんが建物の撮影は許可いただきました。男の入る所では有りません。
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    投稿日:2013/12/08

  • 先棉祠街は旧県城南の二番目の路で河南南路から西へ伸びる路です。旧県城で一番古い石庫門住宅である龍門村の裏の通りです。多くの...  続きを読む石庫門住宅が残っていますが、皆綺麗に使用されていて残されています。永寧路には歴史のある梅渓小学と向かいの上海市第十中学が今も健在です。
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    投稿日:2013/12/08

  • 上海の下町・学院路は古い住宅街です。

    • 3.0
    • 旅行時期:2013/10(約12年前)
    • 1

    学院路はA地区の復興東路の北側を東西、中華路から真ん中の河南南路を結ぶ道です。名前の学院は見当たりませんでした。古い住宅が...  続きを読む並ぶ住宅密集地、商店、露店は少ない。近くに屋台なら四牌楼路、商店街なら光啓路があるからでしょうか?
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    投稿日:2013/10/31

  • 聚奎街・県左街・昼錦路は豫園のあるA地区で方南中路の南側を並行する住宅内の路です。豫園も近いので商店街に成っています。露店...  続きを読むも多く出店されています。露店には実りの秋なのでしょう。果物が豊富に並べられています。特にみかんが美容にも良いと人気があります。スイカはハウスなのか1年中売っています。
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    投稿日:2013/10/31

  • 東街はその名の通り豫園のあるA地区の東側にあり、方南中路から復興東路まで南北に走る道です。別名東街旧貨市場と言います。旧貨...  続きを読む市場とは家電製品の中古品市場です。秋葉原の中古品型です。冷蔵庫、洗濯機、電子レンジなど白物家電が多く、値段の表示が
    ありません。交渉次第と言う事なのでしょう。相場が解らないと交渉できません。買ったら配達、据え付けはどうなるのか。故障した時は修理は、保証はあるのか?実際に買った事のある人の話を聞いてみたい物です。
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    投稿日:2013/10/31

  • 三牌楼路は豫園のあるA地区にあり、復興東路から団体観光客が豫園へ行く玄関口です。豫園商城、上海老街のある方南中路までの短い...  続きを読む路です。屋台街で有名な四牌楼路の隣に平行する路です。両側にお土産屋、食堂が並び道の両側には多くの車が駐車しており広い路幅が駐車場化しています。光啓路は県城最大の商店街で豫園に近い側は観光客相手、離れると地元民相手に変わります。

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    投稿日:2013/10/31

  • 霊済街、梅家街、東梅家街はB地区にあり、この路は光啓南路と並行して南北に走っています。住宅地の中を行く路地です。路地には洗...  続きを読む濯物が頭上に翻り、時々滴が落ちて来ます。道の脇には自転車置き場になり狭い路地をより狭くしています。更に家の前は台所になっていて、流し台が並んでいます。夜間は部屋に置いた馬桶(おまる)に小便を貯めて置きます。朝になるとパジャマノ姿のまま小便池に捨てに行きます。1室しかないので寝室以外はトイレも含めて全てが外です。狭い路地をより狭くしています。古い住宅を手作りで補修したバラック状態の家です。近代的な高層住宅とバラックの下町が隣合わせになっているのが上海です。
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    投稿日:2013/10/31

  • 光啓南路は徐光啓の名前から取りました。A地区からB地区まで同一の名前のついた道路は光啓路のみでいかに住民の為に働いた官僚で...  続きを読むあったかと言う事です。徐光啓故居(九間楼)は光啓南路と喬家路の交差点近く喬家路236号にあります。 豫園の南、方南中路から復興東路を越えて中華路までの県城内で一番長い路です。下町最大の商店街ですが得意の竹の足場を組んリホームしている光景が多く見られました。当局の指導の基に街並みを整備するのでしょうか、今後県城内の整備の方向性を打ち出す事でしょう。
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    投稿日:2013/10/31

  • 巡道街はB地区にあり、中国,明・清時代の地方官吏を置いたのでこの名が付いた。中華路寄りを南北に走っています。かなり住宅が密...  続きを読む集した地域です。1930年代に多く造られた中国式長屋住宅、石庫門が多く残っています。租界で急激に増えた人口を吸収する為に造られた建物で1棟の建物に何所帯もの家族が住んで居ます。トイレも無く、台所も外で住みにくいですが、現在の上海の家賃は高く、老人や、出稼ぎ労働者などは雨風をしのぐだけの生活です。上海黄浦区金壇路集賢村(南門)に上海一帯の警察を司る淞濾警察庁(巡道署)となる。現在は託児所と住宅の集賢村です。巡道街128号、天灯弄入口、水仙宮、宋代に創建された道観。かつては、難病の家族を持つ信者が多くここを訪れた。1954年閉鎖。
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    投稿日:2013/10/31

  • 面筋弄、和順路はB地区で復興東路近くの住宅街です。1930年代に多く造られた中国式長屋住宅、石庫門が多く残っています。租界...  続きを読むで急激に増えた人口を吸収する為に造られた建物で1棟の建物に何所帯もの家族が住んで居ます。トイレも無く、台所も外で住みにくいですが、現在の上海の家賃は高く、老人や、出稼ぎ労働者などは雨風をしのぐだけの生活です。  閉じる

    投稿日:2013/10/31

  • 上海の下町・艾家弄は古い住宅街です。

    • 3.0
    • 旅行時期:2013/10(約12年前)
    • 0

    艾家弄、趙家宅弄、東唐家弄はB地区にある住宅街でいづれも古い家が残っています。
    部屋にはトイレ、台所が無く、トイレは共同...  続きを読むトイレで夜間はおまる。台所は共同で家の前に小さな流しが並んでいます。4.5畳も無い部屋に1家族が住んでいます。改装している家もあるので、取り壊しを免れるのでは無いのでしょうか。最近水洗トイレを見る事があります。
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    投稿日:2013/10/31

  • 蓬莱路はB地区の凝和路との交差点を西へ入りました。ご覧のように古い家が残った住宅街です。古い住宅にはトイレがありません。夜...  続きを読む間は“おまる”馬桶と呼ばれる入れ物に小便を入れ朝になると小便池に捨てに行きます。朝、パジャマ姿で馬桶を下げてる姿は下町の風物詩とも思われます。いささか匂いますが。

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    投稿日:2013/10/31

  • 凝和路はB地区を南北に走る路で下町らしさが多く残る所で大変賑やかな下町の商店街と言った通りです。商店街と言っても店舗より路...  続きを読む面にシートを敷いて物を並べる露店が主流です。黄家路との交差点から蓬莱路との交差点まで北上して見ました。特に朝は朝食を食べる為の人と買い物の人とで狭い道に人がごった返しています。まだまだ下町は健在です。
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    投稿日:2013/10/31

  • 南市は中華路と人民路に囲まれた円形の旧市街と南側の黄浦江脇の城外です。昔、倭寇からの侵略に対し城壁(中国の城壁は住民を守る...  続きを読む為、街全体を囲った。)と堀を造った。縦1.3km・横1.6km・外周5.3km。皇居外周と同じぐらい。租界が周りに出来た時に取り壊されて中華路と人民路になりました。上海が県となった1291年の7年後に設置され、辛亥革命後の1915年までの約600年間、ここが上海の政治的中心でした。この上海県(中国では県は町です)では黄浦江の対岸の高層ビルを見ながら昔ながらの生活をしています。古い住宅の部屋ごとに一所帯が住み、トイレも無く、台所も屋外に共用です。それでも住民は楽しく生活しています。南市にあった古くからの書院・学校の多くは、既に失われて、見ることができない。敬業中学(尚文路73号、1748年申江書院が前身)、龍門書院(尚文路133弄55号、1865年創立。)、梅渓小学校(1878年創立、梅渓書院が前身。)などがそれである。現在古い住宅を取り壊し、高層住宅に建替える再開発が盛んに行われています。ツアーでは行かない上海の下町を散策するのは何時か?“いまでしょう”

    黄家路は地下鉄小南門駅より中華路を100m程南下すると黄家路の入り口に交差します。県城の中の一番南側(B)地区を東西に走る通りです。再開発が進んでおり、高層住宅が近くまで出来ており、古い住宅は取り壊され高層住宅の工事が始まるのを待っています。行き場の無い住民は崩れかけた住宅に住み続けていますが、いづれ強制撤去されるでしょう。これら住民には新しい住宅を買う金、借りる金も無く、所有権も無いので補償も得られません。
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    投稿日:2013/10/31

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