大韓民国臨時政府址
文化・芸術・歴史
3.03
施設情報
クチコミ(3件)
1~3件(全3件中)
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韓国併合後、「大韓民国臨時政府」が置かれた場所。
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- 旅行時期:2014/07(約11年前)
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旧日本帝国に占領された為、上海に大韓民国臨時政府を開設した。上海派遣軍白川大将を暗殺する。
- 3.0
- 旅行時期:2013/06(約13年前)
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新天地近くの馬当路306弄にある普慶里石庫門住宅は1925年ころ完成した。1919年上海に樹立された大韓民国臨時政府が19... 続きを読む26年、普慶里石庫門住宅の馬当路306弄4号に移転して来ました。
上海天長節爆弾事件は1932年4月29日に上海の魯迅公園で発生した爆弾テロ事件。日本軍の上海における軍事行動の勝利を祝賀する大観兵式と天長節祝賀会を執り行うことになった。大韓民国臨時政府の首班金九は尹奉吉を攻撃の実行犯として差し向けた。君代が斉唱された時に弁当箱に仕掛けた爆弾を上海派遣軍司令官白川義則大将の足元へ投げ込んだ。居並ぶ日本側要人に死傷者が出て白川大将は5月26日に亡くなる。この事件で大韓民国臨時政府は日本官憲の追及をうけ、上海を撤退しました。尹奉吉は軍法会議を経て12月19日に金沢刑務所で銃殺刑となった。戦後韓国では日本に打撃を与えた独立運動
の義士として顕彰されている。魯迅公園には中韓国交正常化以後に事件現場を示す石碑と尹奉吉を記念する梅亭が建立された。大韓民国臨時政府旧址は現在展示室を開設し多くの韓国人観光客が訪れている。日本人観光客の訪れる場所ではありません。
閉じる投稿日:2013/07/21
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(上海)上海の中の韓国
- 3.5
- 旅行時期:2009/11(約16年前)
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1号線黄陂南路駅から徒歩で向かいました。新天地のすぐ近くの、普慶里にあります。
日本のガイドブックにはあまり紹介され... 続きを読むていないと思いますが、以前香港で購入した中国語の上海ガイドブックに載っていて、興味があったので行ってみました。
1910年に韓国が日本の植民地となり、1919年独立運動が起こると世界各地で韓国人が「大韓民国臨時政府」を組織したそうです。上海の臨時政府は、地下組織として活動し、1926年フランス租界だった馬浪路(現・馬当路)普慶里を活動の拠点としました。
入場料は15元。普慶里の入口(馬当路沿い)に切符売場&インフォメーションがあり、そこで切符を購入します。ガイドブックや切符売場の説明書きに、パスポートの提示が必要と書かれていたので、ドキドキしましたが、結局提示は求められませんでした。インフォメーションでは韓国語の表記もあり、案内係の人は韓国語も話せました。韓国人にとっては上海観光で必ず訪れる場所のようです。
普慶里の門をくぐって、臨時政府の敷地内に入ると、韓国の国旗(太極旗)が掲げられていました。写真を撮ろうとしたら写真は禁止とのこと。韓国語で注意されました…笑 そして、まずはビデオを見ました。臨時政府の紹介ビデオです。韓国人観光客がほとんどで、韓国語での放送でした。
その後、館内を見学。館内の1階には会議室(太極旗が掲げられている)、厨房、2階には寝室、事務所がありました。 閉じる投稿日:2013/08/28
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