杉原記念館 Sugihara house
博物館・美術館・ギャラリー
3.78
クチコミ 4ページ目(71件)
61~70件(全71件中)
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日本人の誇りです
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- 旅行時期:2012/08(約13年前)
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元リトアニア領事官の杉原千畝氏に関する記念館です。
日本ではあまり知られていないかもしれませんが、当時6000人もの... 続きを読むユダヤ人を救った日本人の誇りです。
記念館はカウナス市内中心部から徒歩圏内にあります。
中へ入るとリトアニア人の管理者の方が迎えてくれます。
まずは奥の部屋に入って15分ほど杉原元領事に関するビデオを見せてくれます。
その後記念館を設立した時に訪れた杉原氏の奥様のビデオを見せてくれます。
どちらもとても感動的なビデオです。
一緒に見ていた旦那は日本人ではないけれど涙を流していました。
その後は記念館の中の見学ですが、どこも写真撮影可で、杉原氏がビザを書き続けた部屋も入れます。
別の部屋には杉原氏の写真や文章などが展示されています。
入場料は基本的にありませんが、国の支援なしに寄付金だけで運営しているので、是非寄付金を箱に入れてきてください。
有料ですが、ヴィリニュスの日本語版の観光案内や書籍なども購入できます。
書籍の購入はユーロでも支払できました(円表示もあったので円でもたぶん払えます)。
カウナスでもし時間があるなら是非訪れて頂きたい場所です。
閉じる投稿日:2012/09/13
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日本のシンドラー
- 3.0
- 旅行時期:2012/06(約14年前)
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訪れることができて良かった
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- 旅行時期:2012/04(約14年前)
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ヴィリニュスから鉄道に一時間半弱乗って、カウナスを訪れました。
杉原記念館はカウナス駅から歩いていけますが、場所が分かり... 続きを読むづらく、少し迷いました。
入場料はかかりませんでしたが、この記念館は寄付で運営されているそうなので、募金箱が置いてありました。ただし、強要のようなものは一切ありませんでした。
当時の状況を考えると、杉原氏がビザを書き続けた部屋に入ったり、当時書かれたビザを見たりすると…胸が熱くなりました。
訪問時は私一人しかいませんでした。訪問者記帳ノートを見ると、2~3日に一度は日本人の方が訪問しているようでした。
カウナスは、日本から見ると行き易いとは言い難いですが、この場所を一度訪れることができて、本当に良かったと思います。 閉じる投稿日:2012/09/30
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感銘を受けました
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- 旅行時期:2011/12(約14年前)
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涙なくては、見れない、勇気ある偉大な日本人!
- 5.0
- 旅行時期:2011/08(約14年前)
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カウナスの旧日本領事館
- 5.0
- 旅行時期:2010/09(約15年前)
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6000人のユダヤ人の命を救った領事代理、杉原千畝が執務をとっていたカウナスにある旧日本領事館を杉原記念館として開放してい... 続きを読むます。ここで当時、ナチスの迫害を恐れて救いを求めてきたユダヤ人たちを救うために、本国の指示に背き、杉原千畝は独断でビザを発行しました。今でもこのことへの恩を忘れず、親日的な国と言われています。杉原千畝の決断と命を救う使命感を日本人として誇りに思います。建物には、ヴィタウタス・マグヌス大学日本学センターがあり、学生の姿がありました。狭い道を入った目立たない場所の記念館です。
ヴィリニュスにある杉原記念碑の写真も併せて掲載します。 閉じる投稿日:2014/03/16
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はずせない
- 4.0
- 旅行時期:2010/05(約16年前)
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日本のシンドラー
- 4.0
- 旅行時期:2010/05(約16年前)
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日本人として知っておきたいこと
- 5.0
- 旅行時期:2010/01(約16年前)
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リトアニア・かつての首都カウナスでまず行くべき所は杉原記念館であろう。
- 5.0
- 旅行時期:2009/10(約16年前)
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≪リトアニア・かつての首都カウナスでまず行くべき所は杉原記念館であろう。≫
【バルト三国紀行:美しき中世の街並み】
... 続きを読む
2009年10月19日(月)~26日(月)
訪問地;
Lithuaniaリトアニア
・首都Vilniusヴィリニュス及び、かつての首都Kaunasカウナス
Latviaラトヴィア
・首都Rigaリガ
Estoniaエストニア
・大学都市Tartuタルトゥ及び、首都Tallinnタリン
<2009年10月21日(水)朝の内、日中時々小雨。~5℃。>
Lithuaniaリトアニア・かつての首都Kaunasカウナス:
中世の面影を残した、リトアニア第二の都市(人口38万人)で、14世紀の記録に登場する古い町です。15世紀半ばにハンザ同盟の代表部が設けられ、商業活動の中心地として繁栄した。ヴィリニュスがポーランドに占領されていた20年間はリトアニアの首都でした。
1919年、第一次世界大戦後のヴェルサイユ条約でバルト三国の独立が認められた。リトアニアのドイツ軍が撤退した際、新興ポーランドが新たな国境線を主張し、リトアニアの首都ヴィリニュスを含む地域を自領に取り込んだ。小国の悲劇である。
ポーランドに首都ヴィリニュスを占領されたままの間、首都は国土の中央部にあるカウナスに移転せざるを得なかった。
1940年、ソ連のバルト三国占領で国境線は回復され、首都ヴィリニュスがリトアニアに戻ったものの、ソ連支配は1990年の真の独立まで続く事になる。
≪杉原千畝(ちうね)記念館≫
最初に訪れたのは、山の手の高級住宅街にある杉原記念館である。
8年前に開館した、杉原千畝(ちうね)氏ゆかりの旧日本領事館では各種の展示を拝見し、最後に出身地の岐阜県八百津町が制作した20分程のビデオを観た。杉原千畝氏の事績(後述参照:命のビザの発行)を皆さんが知っていたのかは、定かではありません。しかし、館内で上映された20分程のビデオには皆さん涙をぬぐっておられました。
世界の歴史に名を残した杉原氏を日本人として忘れえぬ人と認識された事でしょう。
杉原氏が、その時どのように判断し、決断し、実行したのか、その事を想像するに、すごい事です。
また、顕彰碑(早稲田大学が2001年に建立し、60本の桜を植樹した)が建つ桜の丘もあるそうだが、残念ながら、ヴィリニュスの川畔にある為、訪問していない。
碑には「早稲田大学の校友として世界に誇るべき氏の功績を称えて碑を建立すると共に、リトアニア共和国と学術交流による友好関係がさらに深まり花開くことを祈念して桜の木を植樹するものである。2001年10月2日 早稲田大学」とあるそうだ。
更に2011年10月、母校内(早稲田キャンパス14号館脇)に顕彰碑が建立されているそうだが、母校や郷里岐阜県八百津町はありがたいものだ。
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この機会に以下の事を書いておきたい。
*Oskar Schindlerオスカー・シンドラーと杉原 千畝について*
ユダヤ人ホロコーストに関する映画の代表的作品である『シンドラーのリスト』(1993年米映画)の主人公Oskar Schindlerオスカー・シンドラーはナチ政権下のドイツでユダヤ人1200人を救ったとして知られているが、1974年、ドイツのHildesheimヒルデスハイムで亡くなった。
但し、彼の墓は彼自身の希望により、エルサレムのローマ・カトリックの教会墓地にある。
日本の外交官・杉原 千畝(すぎはら ちうね:リトアニアのカウナス領事館勤務)は1940年7月から8月にかけて、避難民だったユダヤ人たち6,000人の通過ビザ『命のビザ』を自ら決断して発行した。
このビザが彼等ユダヤ人たちを救うこととなった。戦後、日本の外務省から<本省訓令の無視>として不当な扱いをされた杉原であったが、彼を命の恩人であるとしてユダヤ人協会により紆余曲折(うよきょくせつ)のすえ、探し出され、ユダヤ人により杉原は1985年「諸国民の中の正義の人」として顕彰された。
Wikiによれば、全世界で27,362人が顕彰されているが、日本人では杉原、ただ一人である。
その後、杉原を“日本、或いは東洋のシンドラー”と呼ぶようになっているが、その事績を思えば、ドイツ人シンドラーの名をつけて呼ぶのはおかしいだろう。
・・・・・・・・・・・・・ 閉じる投稿日:2024/07/25