【かつての東ドイツ:ルター諸都市・Berlin・Dresdenなどを巡る旅】
期間 : 2011年05月13日(金)...
続きを読む~05月27日(金)15日間
【世界遺産“Lutherstadt ルターの町“には大きな銅像が立ち、
宗教改革者ルターの偉大さを示している】
今回の旅は宗教改革者ルターの足跡をたどります。
そして、その足跡の広さに驚く。
“Lutherstadtルターの町“はLutherstadt Eisleben 、Lutherstadt WittenbergとMansfeld-Lutherstadtマンスフェルト・ルターシュタットの三つを言う。
<5月18日(水);快晴、26℃暑い一日、239 km>
【Lutherstadt Eislebenルターシュタット・アイスレーベンの観光】
16:10~17:00
Luthers Sterbehausルター晩年の家、聖アンドレアス教会、マルクト広場・市庁舎、Martin Luthers Geburtshausルターの生家などがある。
つまり、この町はルターの生誕地であり、彼が最期を迎えた地でもある。
16世紀後半のマルクト広場にも当然ながらルターの大きな銅像が立ち、周囲で子供たちが遊ぶ。
Luthers Sterbehausルター晩年の家に向かって歩いて行くと、靴屋の壁にレリーフがはめ込んであったので読んでみると、Richard Wagnerワーグナーがかつて滞在したとある。歴史ある町は有名人に事欠かないようだ。
<Luthers Sterbehausルター晩年の家>
ルター晩年の家は栄光あるルターにしては小さな家である。この家の前にルターが最後に説教をしたと云う聖アンドレアス教会があり、ルターは説教の最中に倒れた。
びっくりしたのはこの場所で、韓国人グループのツアーに出くわした事です。日本人には会ったことは無かったですが・・・。
ルターは死の1か月近く前に生まれた町であるアイスレーベンに居を定めた。
生まれ故郷の領主達の争いを仲介するためであったとされているが。
1546年2月にその家で没した。ほぼ当時のまま現存する最期を迎えた家は博物館となっている。
<Martin Luthers Geburtshausルターの生家>
ルターは父ハンス・ルターと母マルガレータの次男として、ザクセン地方の小村アイスレーベンで生まれた。
ルター(1483年11月10日~1546年2月18日)は生後9ヶ月目にマンスフェルトに転居したため、生家にいた期間はほとんどなかったと云う。
現存する家は17世紀末に再建されたもの。
Luthers Geburtshausルターの生家は戻り道にあった。
マルクト広場から少し先になる。一度火事で焼失したと云う。
ドイツ語圏最古の博物館と云う生家は小さな庭園・ルターの胸像もある大きめの建物だ。傍に観光局もあり、パンフレットをもらって、帰った。
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投稿日:2023/09/06