エディンバラ城 Edhinburgh Castle
城・宮殿
3.98
クチコミ 8ページ目(156件)
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エジンバラ城敷地内のトイレは少ない
- 2.0
- 旅行時期:2006/09(約19年前)
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エジンバラ城のもう一つの見所≪国立戦争博物館≫
- 5.0
- 旅行時期:2006/09(約19年前)
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エジンバラ城敷地内での有名な見所は、ゲートから上って行くと一番上のUPPER WARDのクラウン・スクエアを囲む形でまとま... 続きを読むっていて、グレート・ホールや三種の宝器(王冠、御剣、王笏)と運命の石が保管されている王宮、戦没者記念堂もここ。撮影禁止の場所もあるのでご注意ください。
もう一つの見所≪国立戦争博物館≫は、一段低いMIDDLE WARDの片隅なので、スコットランド戦争史に興味のある方はお見逃し無く。(チケットはエジンバラ城のものと共通)
敷地内には標識があちこちに立っているので、気を付けて見てみてくださいね。
また、アメリカ独立戦争の捕虜たちが入っていた当時の内部を再現した地下牢や、これとは別物の軍の牢獄だった場所は、UPPER WARDのグレート・ホール裏手になります。
日本語で説明したパンフが置いてあったりするので、見つけたらいただくといいですよ。
画像は展示品の一つ、1900年代初めに使われたガスマスク
閉じる投稿日:2006/11/17
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カールトン・ヒルからエジンバラ城方向の町並みを撮る時は
- 5.0
- 旅行時期:2006/09(約19年前)
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カールトン・ヒルは、エジンバラ市周辺の360度の眺めがきれいな公園風の丘。ウェーバリー駅辺りから徒歩で坂道をゆっくり登って... 続きを読む行くと10数分くらい。入場無料。丘の上には芝生が広がり、ナショナル・モニュメントや旧天文台も残っています。売店などは気付いた限りでは見かけなかったので、駅周辺で何か買っていったほうがいいですよ。
この丘の上から見るエジンバラ城方向のオールド・タウンを含む町並みは西にあるので、午後の半端な時間に行くと画像のように逆光気味になってきれいな写真が撮れません。時間の都合がつく方は、太陽が西に傾き始める前の時間か、もう少しずらして日没頃に行くのがよさそうです。
ただ、カールトン・ヒルに登る階段周辺は木立も多く、暗くなったら気をつけてと言われました。帰りは遅くならないうちにどうぞ。
閉じる投稿日:2006/11/16
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エジンバラ城は西側の麓からも見てみましょう
- 5.0
- 旅行時期:2006/09(約19年前)
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エジンバラ城に行くなら!
- 4.0
- 旅行時期:2005/08(約20年前)
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Edinburgh Castle エジンバラ城
- 評価なし
- 旅行時期:2005/07(約20年前)
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鈍い色のシブい城。
- 4.0
- 旅行時期:2005/05(約21年前)
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エジンバラ最大の見どころ、エジンバラ城。旧市街・新市街・このお城ぜーんぶ含めて世界遺産です。
シンデレラ城のような「縦に... 続きを読む伸びる」城ではなく、まさに要塞。どう見ても軍事力重視です。
ミリタリー・タトゥーの会場とのことですが、演目を見ることはできませんでした。
でも城に向かう途中、バグパイプのストリートミュージシャンを見かけたのでちょっと嬉しかったです。
人混みは少なくはないですが、人がごった返して歩けないというほどではありません。
ドイツのノイシュバンシュタイン城よりはずっとましです。
高い丘の上にあり、城内よりも眺望が強く強く印象に残っています。
スカッと晴れた広い空、とても近く感じられる雲、スコットランドの街並み、夏の爽やかな風、
あの風景を見られただけでも行ってよかったなぁと思います。
ただし入場料はとっても高かった!
大人(16歳以上)14.5ポンド、60歳以上11.6ポンド、小人(5歳から15歳)8.6ポンド。
国際学生証を持っていると少し割引が効くかと思います。
2005年当時は大学生で9.8ポンド。これでも「高いなぁ…」という印象でした。 閉じる投稿日:2013/02/20
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大好きなお城です。
- 5.0
- 旅行時期:2004/11(約21年前)
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エディンバラ城の中は
- 評価なし
- 旅行時期:2003/10(約22年前)
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なんと、武器とかを展示している博物館があります。
時間があれば、すみずみまで探索してみましょう!投稿日:2004/07/19
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エディンバラ城に行くならライトアップがきれいな8月のお祭り時期がおススメ
- 4.0
- 旅行時期:2003/08(約22年前)
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広い
- 4.0
- 旅行時期:2000/05(約26年前)
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高貴なお城☆
- 5.0
- 旅行時期:1997/08(約28年前)
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苔生した城も風情あり
- 4.0
- 旅行時期:1993/11(約32年前)
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セピア色の思い出:ブリテン人から「翼の生えた岩の城」と呼ばれたエディンバラの王城
- 5.0
- 旅行時期:1978/08(約47年前)
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≪ブリテン人から「翼の生えた岩の城」と呼ばれたエディンバラの王城≫
<1978年夏の休暇・イギリス旅行>
1978... 続きを読む年8月5日(土)~19日(土)の15日間
11日目の8月15日(火)晴れ後小雨、
この日はスコットランドの都市の中では一番小さい都市スターリングにあるStirling Castle スターリング城を見学して、その後に56km先のEdinburgh Castleエディンバラ城に向かった。
スコットランドの東岸、フォース湾に面するスコットランドの首府エディンバラは人口48万人、スコットランドにおける政治と文化の中心であり、グラスゴーと共に2大都市の一角を占める。
旧市街と新市街の美しい町並みは、ユネスコの世界遺産に登録されていて、旧跡も豊富と云う。毎年8月、エディンバラ・フェスティバルと呼ばれる芸術祭典が行われ、多くの観光客で賑わう。この日も予想以上に多い。
<Edinburgh Castleエディンバラ城>
エディンバラ城は通称「Castle Rockキャッスル・ロック」という岩山の上に立つ古代からの要塞で、エディンバラのシンボルと言って良いだろう。
午前中に訪れたStirling Castleスターリング城(岩山の高さは調べてみたが、意外に記載がない)と似た火山性の岩山・キャッスル・ロックはほぼ左右対称の円筒状の玄武岩で出来ており、145mの高さがある。
ケルト系のブリテン人からは「Castle Myned Agned翼の生えた岩の城」と呼ばれ、スコットランド人は「Maidens Castle, Virgins Castle乙女の城」と呼んだそうだ。
英国史上最も包囲を受けた城と云われ、1100年の歴史の中で26回の包囲戦が確認されている。
現在、エディンバラ城にはスコティッシュ・ロイヤル・ジュエル (戴冠用宝玉)、運命の石、有名な15世紀の大砲モンス・メグ、ワン・オクロック砲、およびスコットランドの戦争史を紹介する「国立戦争博物館」館などがある。
詳細は旅行記に掲載する予定なので、今回は省略し、伝承されてきた「スクーンの石」について以下に書いた。
<エディンバラ城・王宮内にある主な宝物>
エディンバラ城で一番人気は王宮内にある「クラウン・ルーム」です。
ここでは「三種の宝器」と「運命の石」が目玉です。スコットランド歴代の王室の宝石や王冠、武器など歴史的遺品が展示されている。
「Stone of Sconeスクーンの石」:
伝承によると、「スクーンの石」は聖地パレスチナにあって聖Jacobヤコブが枕にしていたという石だと云う。この石をFergusⅠファーガス1世が500年ごろスコットランドに持ち込んだとか(これは伝説だが、現代の科学で実際はスクーン周辺の石切場で採掘されたものであると実証している)。
以後伝承は続き、中世においては「スクーンの石」があったSconeスクーン(現Perth and Kinrossパース・アンド・キンロス村)の地はスコットランド王国の重要な地となり、宮廷が置かれた。「スクーンの石」はスコットランド王家の守護石となり、スコットランド王が代々即位する際、この石の上で戴冠式が行われたという伝統的な宝物なのだ。
「Stone of Sconeスクーンの石」は「Stone of Destiny運命の石」とも呼ばれる長方形の石(写真参照)で重さは約152 kgと云う。
1296年、イングランド王Edward I.エドワード1世(在位1272~1307年)により、戦利品として収奪され、スクーン修道院(スクーン宮殿)からイングランドへ持ち去られた。
イングランドではウェストミンスター寺院に置かれ、イングランド王の戴冠式で使用されていた。石は木の椅子の座部にはめ込まれ(写真参照)、代々のイングランド王たちが即位する戴冠式の際、王たちがこの椅子に座った。
スコットランド王の象徴である「スクーンの石」を尻に敷いて即位することになる。この事はスコットランド人のプライドを大いに傷つけたことでしょう。
尚、「スクーンの石」がイングランドに奪われたことで、スコットランドの人々はイングランドへの敵対意識を高めることになり、1950年12月クリスマスにはスコットランド民族主義者による「スクーンの石」の盗難(奪還!)事件が発生した。犯人グループによる運搬中に、石の角が割れてしまったが、グラスゴーで石工が修復した。最終的に石は発見されイングランドへ回収された。
1978年の旅の事だから、以下の事は追記になる。
1996年、時のトニー・ブレア首相(労働党政権)はスコットランドとの融和の為、「スクーンの石」を700年ぶりにスコットランドへ返還し、現在エディンバラ城に保管されている。但し、将来の英国王室の戴冠式の際には、「スクーンの石」は一時的にウェストミンスター寺院に戻されることになっているそうだ。
伝承から始まった、文字通り「運命の石」となった「スクーンの石」はイングランドとスコットランドの対抗意識の象徴であり、スコットランドの*独立意識も勢いづかせる存在になっているように思われる。
*スコットランドの分離・独立について、最近の報道(2020年9月の調査)では調査対象の1016人の有権者の内、56%がスコットランドの独立を支持、44%が反対であったと云う。また、2020年11月5日の報道によると、現英国ジョンソン首相は2020年にこの件について記者団に次のように語った。
≪2014年の独立を拒否した国民投票は「一世代に一度の出来事」であると同意して行われたものであり、今後、スコットランド独立の是非を問う国民投票の再実施は不要だ≫と・・・。
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閉じる投稿日:2021/02/07
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エジンバラ城のMilitary Tattooを見に行った。
- 4.5
- 旅行時期:1978/08(約47年前)
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1978年8月の休暇で初めて、ドーバー海峡を車で越えました。
この時はEdinburghの祭り・Military T... 続きを読むattooを見るのが目的でしたが、Londonの大英博物館など、Oxford、湖水地方、ネス湖、ハドリアヌスの防御線なども見て、Kingston on Hullの港から、Rotterdamに抜けて、ドイツに戻りました。
総行程2750kmと15日間としては良く走った思いが残ります。
ロンドン・ウィンザー・オックスフォードからStratford von Avonを巡り、そこからDroiwickにあるThe Chateau Impney Hotel(65エーカーの広大な森・庭園の中にあったフランス風のホテル。
塩の工場で成功したオーナーがパリ旅行でフランス人を見染めて、結婚し、その夫人の為に建てたと云う。http://www.chateau-impney.com/ 夕食は素晴らしい味と雰囲気でした。今見るHPにはその雰囲気が残っていませんが・・・。 )に1泊し、さらにBirminghamから北上して、A6・A591で湖水地方の入口Kendalを経由し、Windermereを横に見ながら、Keswickに。そこの古城風(カントリーハウス)のホテルThe Keswick Hotelに1泊。
( http://www.thekeswickhotel.co.uk/keswick-country-house/ )
天気に恵まれたこの旅は良く日焼けしたものでした。
触発されて、当時の写真を見ました。写真は焼きが悪かったらしく、もう黄ばんだものになっています。ホテルは健在かと、検索してみたら上述のようにヒットしました。
当時は、コッツウォルズ地方も知りませんで、今手元にある本(2001年ヨーロッパの田舎;新潮社)でイギリスの原風景に出会うと、この辺りも行ってみたら、良かったかな?!と思います。
閉じる投稿日:2015/11/21