まさに烏城の黒漆喰が見事! ~ 岡山城(烏城)
- 3.0
- 旅行時期:2024/09(約1年前)
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by 機乗の空論さん(男性)
岡山市 クチコミ:18件
戦国時代の備前・美作・備中国一帯を治めていた宇喜多氏が本拠としたことで近世城郭の基礎が生まれた「岡山城」です。
元は石山城に宇喜多直家が入城し改築し、後に子の宇喜多秀家が本丸を設け城を取り込む形で城郭が建造されたのが岡山城で、豊臣政権下では57万4千石の大大名でした。
城の縄張は基本的には梯郭式の三段城郭配置の平山城で、天守は4層6階の複合式望楼型で、出入り口は付属している塩蔵に設けられてます。
特に初重平面形状が歪んだ多角形は特徴的であり他では類を見ないです?…、これは安土城天守を模したのではないか?、それとも秀吉の大坂城天守を模したのか?と諸説ありです。
外観は黒漆塗の下見板が特徴的で、この印象から”烏城”とも呼ばれ、隣県の姫路城・白鷺城とは対照的ですね。
関ケ原の戦い後は小早川秀秋が備前・美作国52万石の領主として入城し、その後の池田忠継が備前国・岡山藩28万石の初代藩主として治め、更に城の拡張・整備を行いご城下全体も拡大し現在の岡山に至ったようです。
明治以降も存城し天守・月見櫓・西之丸西手櫓・石山門は残りましたが、昭和初期頃には本丸を残すのみとなり、五重の濠に囲まれた巨大な城郭は市街地へと変貌したようです。
昭和6年には天守が国宝に指定されましたが戦争での岡山大空襲で焼失し、月見櫓・西之丸西手櫓のみが戦火を免れた結果に成りました。
その後、天守を鉄筋コンクリートによる復興天守として昭和41年に再建し、令和3年に耐震補強などを含めた令和の大改修も終了し、お色直しされた往時の美しい姿を観ることが出来ました。
*今回は天守内部見学をしてないので省きます
- 施設の満足度
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3.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 3.0
- 岡電・城下電停から近く行き易く判り易い!
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 平日とあって観光客も少なくてゆっくり出来ました
- バリアフリー:
- 2.5
- 至る所に坂や段差・石段・階段は有ります~
- 見ごたえ:
- 3.0
- 天守と本丸が往時の歴史を物語ります
クチコミ投稿日:2024/11/29
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