奈良市民にとって最も親しみのあるお寺
- 4.0
- 旅行時期:2024/08(約1年前)
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by TOSHIさん(男性)
奈良市 クチコミ:23件
この寺の前身は藤原鎌足の病の回復を祈願し「山階寺(やましなでら)」として造営されたと伝えられており、平城京への遷都の際に藤原不比等によって此処奈良へ移されるとともに興福寺と名付けられたそうです。その後も藤原氏によって手厚く保護されて来た法相宗の大本山です。
特に猿沢池からの眺めも美しい五重塔は奈良のランドマークとなっており、子どもの頃奈良市に暮らしていた私だけでなく、多くの市民に親しまれているのですが、なんと今回訪れた時には118年ぶりの修理が始まっており、工事用の囲いに覆われてしまっておりました。残念極まりない状態でしたが、それでも多くの鹿たちに出会えました。ホッとします。
御朱印は、一足早く復元工事が完了し創建当初の姿でよみがえった中金堂近くの南円堂脇でいただけます。
ところで、石子詰(いしこづめ)になった三作(さんさく)少年のお話はご存知でしょうか。昔興福寺の寺子屋で習字をしていた三作という小僧のもとに鹿が現れ、半紙を食べられそうになったのでとっさに三作が文鎮を鹿に投げつけたところ、急所に当たり鹿は死んでしまったそうです。神の使いとされる鹿殺害の罪は穴に石で埋められる石子詰刑罰と定められており、三作少年もこの刑で死罪となりました。母親が興福寺菩提院大御堂の鐘をついて供養に努めたということで、その前庭には三作の塚とされるものがあります。小学生の頃この話を聞いて、まちで出会う鹿は大事にしないとエラいことになる!と幼いながらも思ったものです。菩提院大御堂にも今回手を合わせました。
- 施設の満足度
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4.0
- 利用した際の同行者:
- 家族旅行
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 3.5
クチコミ投稿日:2024/08/25
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