レンガ塀遺構とガス街灯が築地外国人居留地の面影をととめています。
- 3.0
- 旅行時期:2024/01(約5ヶ月前)
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by Lily-junjunさん(男性)
築地 クチコミ:25件
「築地外国人居留地跡の碑」へのアクセスは、東京メトロ日比谷線「築地駅」の3b出口を出て、右折し、「聖ルカ通り」沿いに160mほど直進します。「中央区立築地川公園」の先の信号を左折します。「聖路加国際大学」沿いに進み、最初の角を右折します。50mほど進むと「居留地通り」と「居留地中央通り」の交差点の「中央区立明石小学校」の植え込みにある「築地外国人居留地跡の碑」があります。
「築地」というと豊洲に移転した「旧東京都中央卸売市場」や「築地本願寺」が頭に浮かんできますが、「外国人居留地」もありました。明治2年(1869年)に、現在の中央区明石町一帯にあたる「築地鉄砲洲」に、「外国人居留地」が設けられました。その歴史を辿ってみると、アメリカ、オランダ、ロシア、イギリス、フランスと締結した「安政5カ国条約」に基づき、函館、横浜、長崎、新潟、神戸の5港を開港し、江戸と大坂では、開市をすることが取り決められました。日本における「外国人居留地」は、条約締結国の外国人の居住や通商のための専用特別区として開港場、開市場の土地に設けられました。江戸の開市は、明治元年(1868年)11月19日、明治新政府になってから実現し、現在の明石町地区に「築地外国人居留地」が設定されました。また、「築地外国人居留地」には、ここを発祥の地とするキリスト教系の学校も数多く設立されました。「築地外国人居留地」の大きな特徴は、商館の多かった横浜や神戸などとは異なり、外国公使館や領事館をはじめ、海外からの宣教師、医師、教師などの知識人が居住し、教会や学校などを数多く開いて教育を行っていました。「築地外国人居留地跡の碑」の傍らには、「築地外国人居留地」時代の「レンガ塀遺構」と「ガス街灯」が残っていて、その当時の面影を今に残しています。「レンガ塀遺構」のレンガは、イギリス積みで積まれた築地外国人居留地時代のレンガ塀遺構の一部です。「ガス街灯」の柱は、コリント風の様式で上部にある左右20㎝の腕金や下部に施された帯状の操り形など、特徴的な装飾が見られる鋳鉄製の柱です。
01_【「築地外国人居留地跡の碑」の一口メモ】
所在地…〒104-0044 東京都中央区明石町5-26 中央区立明石小学校
02_【「築地外国人居留地跡の碑」へのアクセス】
⑴ 東京メトロ日比谷線「築地駅」3b出口から徒歩約6分400m
⑵ 東京メトロ有楽町線「新富町駅」6番出口から徒歩約5分300m
- 施設の満足度
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3.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 3.0
- 東京メトロ日比谷線「築地駅」3b出口から徒歩約6分400m
クチコミ投稿日:2024/02/04
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