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シーボルト像

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シーボルトは日本の蘭学の発展に貢献しましたが、禁制品等を持ち出そうとしたため国外追放されました。

  • 3.5
  • 旅行時期:2024/01(約2年前)
Lily-junjunさん

by Lily-junjunさん(男性)

築地 クチコミ:25件

「シーボルトの胸像」へのアクセスは、東京メトロ日比谷線「築地駅」の3b出口を出て、右折し、「聖ルカ通り」沿いに290mほど直進します。「慶応義塾発祥の地記念碑」の先の横断歩道を渡り右折し、「居留地中央通り」沿いに50mほど進むと右手に「中央区立あかつき公園」の入口があります。公園な中を150mほど直進すると「霧の噴水」があり、その向こう側に「シーボルトの胸像」があります。
ドイツ人医師の「フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト」は、オランダの陸軍軍医で、文政6年(1823年) 7月に、27歳の若さで長崎の出島の商館医として最初の来日をしました。「シーボルト」は、医者の仕事ばかりでなく日本との貿易のため、日本のことを調べるようにも命じられていました。「シーボルト」は、文政9年(1826年)正月に、オランダ商館長と共に江戸参府に同行し、江戸へ向かい、何と旅の途中で植物や動物を採取、山の高さの測量もしたそうです。江戸に到着したのが文政9年(1826年)3月4日で、文政9年(1826年)4月12日出発するまでの間に、多くの医者や蘭学者を指導し、江戸蘭学発展のために貢献するところが大きかったそうです。特に、「築地本願寺」に墓のある「土生玄碩」は、江戸滞在中の「シーボルト」が治験した瞳孔を散大させる秘薬「散瞳薬」に驚嘆し、施術に有効な新薬の製法を得ようと何度も会見し、手に入れようと懇願したといわれています。最終的には、危険を顧みずに将軍下賜の国禁品と引き換えに製薬教示を得ましたが、数年後にこのことが発覚し文政11年(1828年)の「シーボルト事件」に連座し、改易・禁錮の身となりました。
そして、ここが江戸蘭学発祥の地であり、シーボルトの娘である「いね」も医者になり、築地で産婦人科を開院したことなどのゆかりから「シーボルトの胸像」が建立されました。

01_【「シーボルトの胸像」の一口メモ】
所在地…〒104-0045 東京都中央区明石町13-14

02_【「シーボルトの胸像」へのアクセス】
⑴ 東京メトロ日比谷線「築地駅」3b出口から徒歩約7分450m
⑵ 東京メトロ有楽町線「新富町駅」6番出口から徒歩約9分650m

施設の満足度

3.5

利用した際の同行者:
一人旅
アクセス:
3.0
東京メトロ日比谷線「築地駅」3b出口から徒歩約7分450m

クチコミ投稿日:2024/02/04

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