豊臣秀吉はこの場所から大陸を望み、侵攻の野望に燃えていたと想像します
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- 旅行時期:2023/11(約2年前)
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by RAINDANCEさん(男性)
呼子・玄海 クチコミ:11件
天正19年(1591年)に築城が始まり、諸大名の分担によって数ヶ月で完成したという大陸侵攻の前線基地。豊臣秀吉自身も1年あまり在陣したらしい。徳川家康、伊達政宗、真田昌幸/信幸、前田利家、黒田長政…といった諸大名の陣屋が城下に布陣されていました。本丸御殿跡には「名護屋城址」の碑。天守台から北側には、加部島・加唐島・松島を望みます。この先に隠岐島・対馬、そしてさらにその先には朝鮮半島…秀吉はこの場所から大陸を望み、侵攻の野望に燃えていたのでしょう。
- 施設の満足度
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4.0
- 利用した際の同行者:
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 4.5
クチコミ投稿日:2024/01/23
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