炭都の栄華が消滅した夢の跡 ~ 田川後藤寺駅
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- 旅行時期:2023/09(約2年前)
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by 機乗の空論さん(男性)
田川・嘉麻 クチコミ:8件
日田彦山線の乗換駅であり後藤寺線の起点としての「田川後藤寺駅」は明治29年に豊州鉄道が開業した歴史ある駅です。
明治政府の殖産興業が北九州地区で始まり、そのエネルギー確保の為に筑豊炭鉱での石炭採掘が広がり八幡や若松への石炭積出鉄道としての役割を担う後藤寺や伊田・飯塚・直方にターミナル駅が置かれたようです。
明治40年には国有化され田川線が所管、大正11年に九州産業鉄道が乗り入れ開始、昭和18年戦時買収にて後藤寺線に編入されました。
その後、田川後藤寺駅と改称し、昭和62年の国鉄分割民営化によりJR九州に継承。
平成元年に糸田線が平成筑豊鉄道に転換され、平成9年には駅舎が改築され往時の面影を残すものは大半が消えてしまいました。
戦前・戦後はまだ筑豊でも鉄道の要衝の町・駅としての役目を担っていた時期であり、三井田川炭鉱から掘削される大量の石炭積出貨車が縦列する留置線が大量に在りました。
それらを牽引する9600形蒸気機関車が忙しく構内を行き交う姿が観られ、管理運行する後藤寺機関区も置かれて筑豊地区では最後まで蒸気機関車が運行された記憶があります…、が今では跨線橋から眺めても往時の面影は何も残らず、最低限の線路とホームだけを残した寂しい駅に成り下がってしまいました…。
単式ホーム1面1線(切り欠きホーム1線と)が2つと島式ホーム1面2線の合計3面5線を有する地上駅は改築の駅舎も含めて余りにも炭都として栄華を誇った駅とは信じ難い駅に成りました。
- 施設の満足度
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2.0
- 施設の快適度:
- 2.0
- 駅舎も構内も往時の面影も全て消えました…
- バリアフリー:
- 2.0
- 跨線橋は階段のみで非バリアフリーでした
クチコミ投稿日:2023/10/15
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