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海外移住資料館

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資料館と言っても広いスペースで展示量も多く博物館級、日本では珍しい移民博物館

  • 5.0
  • 旅行時期:2023/10(約2年前)
ごーふぁーさん

by ごーふぁーさん(非公開)

横浜 クチコミ:4件

横浜にJICA(国際協力機構)が開設した海外移住資料館(Japanese Overseas Migration Museum)がある。JICAはその昔に海外移住事業をおこなっており、今でも中南米の日系社会と日本を繋ぐ事業を継続しているようで、その縁からこの資料館を立ち上げたと言う。資料館と言っても広いスペースで展示量も多い。日本の移民の歴史はこちらで学ぶことができ、日本では珍しい移民博物館となっている。

日本の移民の歴史は当初、外国側のニーズから始まった。江戸時代の開国の際、外国人たちは日本人労働者を雇用し、海外に連れ出すことを望んでいた。その結果として日本人の渡航が始まることになる。明治元年には「元年者」と言われるハワイ移住者が150人ほど渡航する。これはハワイの砂糖産業が大発展し、ハワイ王国がサトウキビ畑で働く労働者を欲しがった為であった。しかし、この後から日本政府は日本人渡航が、奴隷貿易となることを恐れて移住を禁じることなる。

一旦、減少した出国者だが、1885年(明治18年)になるとハワイ王国の要請に応じ、945人を官約移民としての渡航することになった。ここから海外出稼ぎが本格化した。また、これに先立つ形で1881年頃から「書生」が個人的に渡米し始めていた。書生はアメリカで得た知識や技術をもって帰国し、日本でひと旗あげることを夢見ている若者たちである。帰国後を楽しみに渡航したのは書生だけでなく、農民出身の渡航労働者も同様だった。彼等は大金を貯めて祖国に持ち帰ることを夢想しており、この出稼ぎ労働者たちのほどんどが若い独身男性であった。

早期渡米者は望み通り帰国する者もいたが、徐々に出稼ぎ期間を延長し、やむを得ずその地に留まる者も多くなってきた。更に海外出稼ぎがブームとなり激増する。しかし、1880年後半からはアメリカは移住制限の声が高まり、1900年代には国際問題となる。そして1908年米国との交渉によって労働目的のアメリカへの渡航が禁じられてしまう。

写真結婚の増加も移住制限を促進する原因となった。アメリカへの移住者は農村出身の独身男性が多く、いざ定住するとなると花嫁不足が深刻となる。そこで、花嫁候補は渡米前に写真を交換し見合いをするようになった。これが写真花嫁である。この写真花嫁によって結婚の為に渡米する女性も増え、米国で子供も生まれたことから、日本人の人口はアメリカ国内で増え続ける。このことがアメリカ人たちを余計刺激し、日本人の移民をますます警戒するきっかけにもなった。

詳細はコチラから↓
https://jtaniguchi.com/oregon-california-hood-river-valley-japanese-overseas-migration-museum/

施設の満足度

5.0

利用した際の同行者:
カップル・夫婦
アクセス:
2.5
コストパフォーマンス:
5.0
人混みの少なさ:
5.0
展示内容:
5.0

クチコミ投稿日:2023/10/14

いいね!:9

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