幕末から明治期の外国人居住地が偲ばれる
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- 旅行時期:2023/04(約3年前)
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by ワンダラーさん(男性)
築地 クチコミ:16件
ここ中央区明石町には、東西の「居留地通り」と南北の「居留地中央通り」が交差し、幕末から明治期にかけて外国人居留地があった。交差連北西側には中央区教育委員会がつくった「築地外国人居留地跡」の案内板がある。
最初は、築地側と明石町側と併せて「鉄砲洲」と呼ばれていたらしい。
一時期にあった米国公使館のほか、現在までつづく聖路加国際病院やカトリック築地教会などを囲んで、東京で仕事をする宣教師や牧師、お雇い外国人など有名人が暮らしたという。
聖路加国際病院などが特定街区で再開発されたので、整然とした美しい街並みになったが、幕末期は洋館と言っても現代に基準での立派な街区ではなかったのではなかろうかと想像する。
- 施設の満足度
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4.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 2.5
- 見ごたえ:
- 4.0
クチコミ投稿日:2023/05/24
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