馬込勘解由は、徳川家康の江戸開府以来、大伝馬町で物資や人の往来のための手配を担当していました。
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- 旅行時期:2023/01(約1年前)
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by さいたまさん(男性)
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馬込勘解由は、徳川家康の江戸開府以来、大伝馬町で物資や人の往来のための手配を担当していました。
街道沿いの交通の馬や人足の手配のための拠点として、馬込勘解由の屋敷及び手配所がありました。
馬込勘解由の名称と役割は、世襲として代々継承され、身分として、名字帯刀を許されていたそうです。
馬込勘解由は、大伝馬町ばかりでなく、周囲の街道筋に、支配の区域を広げていたようで、それらのうちの大伝馬町の屋敷跡の記録が、沽券図として残されています。
大伝馬町の屋敷跡の沽券図には、合計5筆の区域が馬込勘解由の土地として明記されています。
関連する資料によりますと、土地ばかりでなく、地域役人としての収入も多いようで、伝馬町周辺の実力者だったことがわかります。
現在で言えば、地域の手配師として、大きな力をもっていたと理解できます。
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3.5
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
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- 人混みの少なさ:
- 3.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0
クチコミ投稿日:2023/01/05
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