千三百年前には九州の政治・文化の中心
- 4.5
- 旅行時期:2020/02(約6年前)
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by RAINDANCEさん(男性)
太宰府 クチコミ:10件
今はただの跡地ですが、ここが千三百年前には九州の政治・文化の中心であり、日本の外交、対外防備の先端拠点でした。正殿があった場所。新年号の「令和」は、大宰府近辺にあった大伴旅人邸で開かれた「梅花の宴」で詠まれた32首の歌の序文から採用されたということで、令和元年には大宰府が盛り上がりました。この礎石の大きさから、さぞかし大きな建物だったのでしょう。これだけの庁がここに存在したのは、大陸を見据えたからだとも言われています。白村江の戦いで大敗した日本は大陸からの脅威に備えなければならず、その防衛の総司令部だったとも。そんな大宰府も鎌倉時代に入るまでに解体・廃絶され、政治経済の中心は北部へと移っていったそうです。大陸を意識した古い歴史の遺産としてロマンを感じる場所です。
- 施設の満足度
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4.5
- 利用した際の同行者:
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- 見ごたえ:
- 5.0
クチコミ投稿日:2022/12/10
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