沈没状況のジオラマや引き揚げた遺物の数々の展示、坂本龍馬の隠れ部屋の再現などがあります。
- 4.0
- 旅行時期:2022/11(約3年前)
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by hijunoさん(非公開)
鞆の浦・鞆公園 クチコミ:6件
海援隊が大洲藩から借りていた「いろは丸」が1867年に紀州藩の「明光丸」に衝突され積み荷とともにいろは丸は沈没します。その一番近い港が鞆の浦であったことから、龍馬をはじめ、関係者は鞆の浦に滞在、龍馬も4日だけ滞在して、賠償交渉に当たったそうです。
龍馬たちは大量の武器を積んでいたと主張したそうですが、2006年の海底の調査ではそのような銃火器な一切発見されなかっといいます。引き揚げられたものも展示されていますが、大量の石炭、イギリス製のいろは丸の船のドアノブや古伊万里の茶碗、硯などが展示されていました。調査の様子も展示されています。二階には坂本龍馬が滞在していた時の隠れ部屋が再現されていました。
(館内の撮影写真はSNSなどにあげられないということで館内の写真はありません。)
- 施設の満足度
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4.0
- 利用した際の同行者:
- カップル・夫婦(シニア)
- 展示内容:
- 5.0
クチコミ投稿日:2022/11/15
いいね!:2票
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