戦国の織田勢戦死者5千人を弔う塚
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- 旅行時期:2022/07(約3年前)
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by ワンダラーさん(男性)
岐阜市 クチコミ:27件
織田信長の父・信秀が、1547年に当時は井ノ口と呼ばれた岐阜に攻め込んだ。
しかし守る斎藤道三勢が強くて、織田勢は大敗を喫した。
その戦で、織田勢は、信長の叔父・信康を始めとした5千人もの戦死者が出た。
この戦死者を弔うため、織田塚を築いたとされる。
NHKブラタモリの番組でも紹介された由緒ある岐阜市指定史跡であるが、いかにも小さく狭く感じる。
その理由は、塚に近かった円徳寺が南西方向の現在地に移転したことに伴い、円徳寺境内に改葬され、こちらは小さな塚に変わったようだ。
- 施設の満足度
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3.5
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 3.0
クチコミ投稿日:2022/10/21
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