滅却心頭火自涼
- 4.0
- 旅行時期:2022/10(約3年前)
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by ウェンディさん(女性)
勝沼・塩山 クチコミ:3件
8月に恵林寺を訪れました。
恵林寺は春の桜、秋の紅葉の庭園が有名ですが、夏は訪れる人も少なく落ち着いて散策できます。
恵林寺で有名なのは秘仏の で、確かに信玄公の面影を残す不動明王の仏像は見応えがあります。
でも、此処を訪れるならば知っておきたいのは”寺の歴史”。
時は戦国時代。
1330年に開山した恵林寺は、武田の庇護を受けた武田信玄の菩提寺であった。
当時、その状況を面白く思わない人物が一人いた。
それは、織田信長。
信玄を敵対視していた信長は、武田家に寄り添う恵林寺を宣戦布告なしに急襲し、門の内側にいた人間を全て、僧侶、農民、商人を問わず境内に閉じ込め、寺に火を放ったそうだ。
そして、信長は誰一人、外に出してはならぬと家来に命じたと言われている。
(実際には数名の僧が煙に紛れて飛び降り、逃げのびたらしい)
寺の本堂へと燃え移った火は次々と延焼し、もう寺の中の消火用の水も底をついた時に寺のトップだった快川和尚が燃えさかる三門の上で、廻りを取り囲む僧や信徒に向けて語った言葉が、「滅却心頭火自涼(心頭滅却すれば火自ずから涼し)」。
もう、煙に巻かれて死ぬしか道がないという時にこのフレーズが出てくるとは、心の強い人だったのだろう。
信長の思惑通り、当時の恵林寺は全て焼け落ち、閉じ込められた僧侶、僧兵など多くの人が焼死したと歴史書には記されている。
戦国時代の出来事ですが、夏の蝉時雨の中、誰もいない廊下に立つと、その時の炎の音ガが聞こえ、木材が燃えるきな臭いが漂ってくる気がしました。
- 施設の満足度
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4.0
- 利用した際の同行者:
- カップル・夫婦
クチコミ投稿日:2022/10/02
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