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久住神社

寺・神社・教会

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久住町の町中の一画にありました。

  • 4.0
  • 旅行時期:2022/05(約4年前)
リラクマさん

by リラクマさん(女性)

竹田 クチコミ:119件

久住神社は久住町の町中の一画にありました。この一帯の氏神として崇敬されるいるそうです。階段を上がって二ノ鳥居、進んで三ノ鳥居の先に境内があり、本殿の右手前にはご神木と思われる大きな木がありました。拝殿前には左右に松の木が植えられてますが、まだ若木です。その拝殿前に置かれた由緒によると、祭神は健男霜凝彦神(たけおしもごりひこのかみ)、彦五瀬命(ひこいつせのみこと)、姫神(ひめかみ)の3柱となっています。往古から、久住山頂に山の神・姫神を祀った上宮と、桐迫村に農耕神・健男霜凝彦神を祀った下宮を併祀する神社があったそうです。645年(大化元年)に神武天皇の兄・彦五瀬命の神霊が紀州の竈山神社から飛来して桐迫村宮田鉾の木に鎮座されたそうです。(彦五瀬命は久住山全体の神様だそうですから、様子を見に戻ってきたのでしょうかね)1044年(寛徳元年)になって、白丹南山城主の志賀氏が健男霜凝彦神を祀った下宮に併祀したとのことです。1533年(天文2年)には平摩大明神と尊称され、1856年(天正14年)に兵火に遭って仮宮になってからは久住大明神と尊称されたそうです。1666年(寛文6年)には現在地に遷座し、新宮を「久住宮」と称し、後に、現在の「久住神社」と改称したとのことです。1つの神社にもいろいろな歴史が刻まれているのですね。11世紀以降は時の領主の保護を受けてきたのも、存続には大きいですね。

施設の満足度

4.0

利用した際の同行者:
友人
アクセス:
3.0
人混みの少なさ:
5.0
見ごたえ:
4.0

クチコミ投稿日:2022/09/15

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