居宅の秋風庵などが残っていました。
- 4.0
- 旅行時期:2021/11(約4年前)
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by 旅好者さん(男性)
日田 クチコミ:90件
咸宜園(かんぎえん)跡は、日田市内、久大本線の線路近くで住所が何と「淡窓」というところにありました。居宅だった「秋風庵(しゅうふうあん)」と書斎の「遠思楼(えんしろう)」が残っていました。廣瀬淡窓さん(1782~1856年)は、入門時に学歴・年齢・身分を問わない「三奪法(さんだつほう)」を採用して、平等な教育をしたそうですね。咸宜とは、中国の古典「詩経」の中から取られた言葉で、「咸く宜し」(ことごとくよろし)なのだそうです。生徒一人ひとりの意思や個性を尊重する教育理念が込められているとのことです。ところで、学費はいくらくらいだったのでしょうか。三絶僧として有名な平野五岳さんは5年くらいで咸宜園をやめていますが、学費負担が出来なくなったからだそうですね。五岳さんは優秀だったので、客席という特別な扱いを受けたそうですが・・・。
- 施設の満足度
-
4.0
- 利用した際の同行者:
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 4.0
クチコミ投稿日:2022/05/01
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