大都市・江戸を支えた神田上水の守護神を祀った神社です!
- 3.5
- 旅行時期:2021/08(約4年前)
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by hiroさん(男性)
目白 クチコミ:17件
『水神社(すいじんじゃ)』は、東京メトロ・有楽町線「江戸川橋駅」1a出入口から「江戸川橋」をわたり「江戸川公園」のある荒川水系の一級河川「神田川」左岸側(北側)に沿って整備されている自転車・歩行者専用道路「神田川桜並木」をおよそ800メートルほど「神田川」を上流方向(西側)に進んだところに架かる「駒塚橋」北側にあたる文京区目白台1丁目の武蔵野台地東端に位置する「目白台(関口台地)」と呼ばれる高台に向かう傾斜地に鎮座する小規模な神社です。
この『水神社』の創建時期は不詳ですが、言伝えによれば水神がかつてあった「椿山八幡宮」社司の夢枕に立ち”我水伯(水神)なり、我をこの地にまつらば堰の守護神となり、村民をはじめ江戸町ことごとく安泰なり”と告げたため現在地に水神を祀ったとされており、祭神として港・河口・水門の神(水戸神)とされる兄妹であり夫婦でもある「速秋津彦命」・「速秋津姫命」および第15代「応神天皇」であり武運・鎮守の神とされる「誉田別命」が祀られています。
ちなみに「徳川家康」が江戸に入府した1590年(天正18年)当時の「江戸城」南側エリアは、「日比谷入江」と呼ばれる海辺の湿地帯が広がり、井戸を掘っても塩分が混入し飲料水に適さない水質であったため「江戸城」を中心とした都市整備をするうえで生活用水となる飲料水を確保することが重要課題となっていました。
そのため江戸時代初期に現在の神田・日本橋エリアへ生活用水となる飲料水を確保するために国内初の本格的な上水道として「神田上水」を整備するために武蔵野台地の湧き水を水源とする「井の頭池」(現:井の頭恩賜公園)さらに「善福寺池」(現:善福寺公園)および「妙正寺池」(現:妙正寺公園)の補助水源が合流し、現在の『水神社』前を流れる「神田川」のおよそ300メートル下流に架かる「大滝橋」あたりに「神田川」から上水を取水口に取り込むための「大洗堰」が築かれていました。
また、徳川幕府・第5代将軍「徳川吉宗」の時代である1732年(享保17年)に江戸府内の地名・寺社・名所などを掲げた「江戸砂子温故名跡誌」の中でも『水神社』について”上水開けてより関口水門の守護神なり”とした記載が残されているほかに徳川幕府・第11代将軍「徳川家斉」の時代となる1836年(天保7年)に刊行された地誌「江戸名所図会・4巻(12冊)」の中でも絵図とともに”上水の守護神を祀らん”とした記載が残されているなど大都市化していく江戸の街を支える重要な位置付けの施設であったことを伺うことができます。
そのほかに「神田上水」の恩恵にあずかった神田・日本橋エリアの多くの人々が『水神社』を参詣していたとされ、南北朝時代(1336年から1392年)から椿が自生していたと伝わる「椿山」(現:椿山荘)と呼ばれる景勝地とされていた「目白台(関口台地)」からは清らかな「神田川」の流れから現在の「早稲田」周辺に広がる田園地帯さらに「富士山」まで望むことがでる行楽の場になっていたとも伝えられています。
今回は、「江戸川橋」周辺エリアを訪れた際に初めて「神田川」に架かる「駒塚橋」北側傾斜地に鎮座する『水神社』に立ち寄りました。
「駒塚橋」前から急な石段の参道を見上げると石段の頂部に参道を挟むように存在感のある大イチョウが2本並び境内がどのようになっているのか期待感が湧いてきますが、石段を上り力強く根を広げた大イチョウの奥には大イチョウとは対照的な祭神を祀る小さな祠のみがひっそりと建っており少し期待外れな感じがありました。
但し、その歴史を調べていくと世界有数の大都市となった江戸府内の生活用水を供給した「神田上水」の守護神として、派手な社でなく控えめでひっそりとしていてよいと感じてきました。
『水神社』に立ち寄った時期は、夏場の暑い時期でしたが都心でありながら木々の緑が多く存在するエリアであり、『水神社』のほかにも歴史散策などで楽しめるエリアなので機会があれば立ち寄りたいと思います。
- 施設の満足度
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3.5
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 東京メトロ有楽町線・江戸川橋駅1a出入口から徒歩12分程度です。
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 平日の昼ごろに立ち寄りましたが、誰もいませんでした。
- バリアフリー:
- 2.0
- 境内は傾斜地で参道は急な石段です。
- 見ごたえ:
- 3.5
- 建物は祭神を祀る小さな祠のみですが、境内にある力強く根を広げた2本の大イチョウは存在感があります。
クチコミ投稿日:2022/01/04
いいね!:4票
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