北の外れに水練池がありました。
- 3.5
- 旅行時期:2021/05(約5年前)
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by 旅好者さん(男性)
萩 クチコミ:322件
移築された明倫館遺構の南門から北に進んだところに、水練池がありました。ここは敷地の北の外れで、萩市立明倫小学校の新しい木造校舎の目の前です。明倫館での遊泳術や水中騎馬の訓練が行なわれたところだそうです。前原一誠が1876年(明治9年)に萩の乱を起こした時、本部はここ明倫館に置きましたが、察知されて相手方に多くの武器や弾薬をこの池に投げこまれてしまったそうですね。そのため別名:煙硝池とも呼ばれるそうです。水練池の南側に聖賢堂という小振りな建物がありました。元は明倫館の聖廟前にある観徳門の左右にあった東塾・西塾の遺構とのことです。聖廟で行われる釈菜(孔子の祭)の道具などを納めていたそうです。明倫館廃校後に、再利用するため両塾をくっつけて1棟にしたのだそうですよ。
- 施設の満足度
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3.5
- 利用した際の同行者:
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 3.5
クチコミ投稿日:2021/10/30
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