幕末を過激に駆け抜けた人物です。
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- 旅行時期:2021/05(約3年前)
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by 旅好者さん(男性)
萩 クチコミ:322件
萩学校教員室のある山口県立萩高等学校の東門から北に進んだ十字路に国司信濃親相旧宅跡の石碑が建っていました。この1区画の半分が邸宅だったそうです。親相(ちかすけ)は改革派の中心人物の一人です。1842年(天保13年)に寄組の高洲家(禄高1、019石)の次男に生まれ、同じ寄組の国司家(禄高5、600石)の養嫡子となっています。1863年(文久3年)に赤間関奉行になると、5月には関門海峡を通る外国船に対して攘夷(下関戦争の始まり)を断行します。その後、加判役(家老)となっています。1864年(元治元年)7月の禁門の変では、上洛して先頭に立って指揮を執りました。その後、禁門の変の責を負って切腹となっています。享年はわずか24歳でした。
- 施設の満足度
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3.0
- 利用した際の同行者:
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 3.0
クチコミ投稿日:2021/08/02
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