歴代水口藩主が崇拝した神社である。
- 5.0
- 旅行時期:2021/06(約3年前)
-
by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん(非公開)
甲賀 クチコミ:14件
甲賀市水口町北脇にある柏木神社。創建は不詳ながらも飛鳥時代と伝えられ、源頼朝が上洛の折に鶴岡八幡宮の御分霊を合祀し、若宮八幡宮と呼ばれるようになり柏木荘十六か村の鎮守のお社として栄えたことが記録に残っている。
天正年間には織田信長の軍勢が当地を攻めた際に楼門・銘木は持ち去られ、楼門は安土の見寺に据えられた。その他宝物・古文書・主要建物は焼失している。その後承応年間に日野町金剛定寺の旧寺門が据えられて現在に至っている。水口岡山城が破却された後水口城が幕府直轄地に築かれた際、幕府任命の城代が入城し守護神として当社を崇めていたと伝わっている。中でも常陸牛久藩二代藩主山口但馬守弘隆は崇敬の念篤く、幾多の寄進のあったことが古文書に記されている。その後加藤明友が2万石の知行を得て入城し、水口藩が成立するとその念は引き継がれこととなり、歴代藩主の祈願所として崇拝を受け続けた。
明治期に村社となり社号を柏木神社と改める。以降郷社を経て昭和20(1945)年に県社に加列されている。伊勢神宮の旧荘園であったことから、現在でも氏子の在住が広いエリアに散らばっており、境内に残る忠魂碑からも水口町界隈の氏神様としてのカラーが強く残っている神社である。
残念ながら今回は日暮れのために折角の建物が見られないことが残念ではあるが、これ無い距離ではないので、また改めて再訪したいと思う神社であった。
直接関係があるのかどうかはわからなかったが、歩いて3分位の場所に長束正家の正妻栄子姫の〝姫塚〟がある。前の通りは道幅が狭いため、柏木公園の駐車場を利用して下さいと書かれていた。駐車場は忠魂碑脇に広いものが用意されていた。
- 施設の満足度
-
5.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 新名神甲南・甲賀土山ICよりで車20分。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 夜だったので誰にも会わなかった。
- バリアフリー:
- 4.0
- 舗装されているところもあるが砂利敷きが多い。
- 見ごたえ:
- 5.0
- 鳥居前を見るだけで立派なものとわかる。
クチコミ投稿日:2021/07/04
いいね!:6票