地元飯田橋の商店街が目白通りの両側に建てた、この地の歴史を表す標柱13本。
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- 旅行時期:2021/05(約5年前)
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by ワンダラーさん(男性)
神楽坂・飯田橋 クチコミ:2件
地元の飯田橋商店街振興会が、目白通りを飯田橋の散歩路にすべく、飯田橋駅から九段下駅にかけての両側歩道に石の標柱13本を建て、この町の移りかわりを示している。その経緯を説明する石柱がこの「歴史のプロムナード 」。
縄文時代には海面が上がって(縄文海進)このあたりは溺れ谷の入り江の海の中だった。その後、海が後退して、太田道灌のころは、平川の氾濫原の葦原になっていたという。
徳川家康が江戸城の大規模拡張工事を行い(神田川工事などで平川の流入もなくなり)このあたりは湿地から旗本屋敷に変わり、南側の元飯田町は、町人の町として 賑わったという。
明治になって旗本屋敷街は一時は大変寂れたが、甲武鉄道飯田町駅開設などで賑わうようになった。
広い通りなので、飯田橋駅から東側の歩道を九段下駅に向かい7本を見て、横断歩道を渡って反対側の歩道を戻って6本を見ないと全部は見られない。また、道路工事によって、一時的に撤去されている標柱もあるようだ。
学校などの発祥地は分かるが、その他の選定基準は、正直なところよく理解できないようなものもあるように感じる。
また、甲武鉄道飯田町駅は、この通り沿いではないのではなかろうか?
- 施設の満足度
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3.5
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 4.5
- 人混みの少なさ:
- 2.5
- 見ごたえ:
- 3.0
クチコミ投稿日:2021/06/20
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