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惣社神社

寺・神社・教会

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正しく村の鎮守の神様だった。

  • 5.0
  • 旅行時期:2021/05(約5年前)
たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん

by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん(非公開)

草津(滋賀) クチコミ:23件

草津市志那仲町の住宅地の中にある。旧郷社格の惣社神社は特に観光のために訪れる者に対し駐車場などの便宜を図っている感じも受けず、正しく集落の神様が祀られているという古社である。

創建は不詳であるが、社伝を基に志那三郷の惣氏神として式内社の意布伎神社の論社のひとつとなっている。論証として江戸期に当所にあったとされる大般若寺を記録した〝大般若寺絵図〟が社宝として残されており、大般若寺境内の隅に鎮守社として意布伎社が描かれており、それが当社だと考えられるからとのこと。絵図には当社の境内玉垣の外にある石造宝塔跡が描かれており、大般若経の一部が残っていることからも間違いはないだろうと判断しているようだ。勿論社宝である以上一般公開されている訳でもないため、どこまで信憑性があるかはわからない。

意布伎神社の論社となっている三社のうち、唯一文化財指定をされているものがない神社でもある。意布伎神社の根拠としている石造宝塔と言うものも、場所が示されていない上に玉垣の外にあることから、事前に情報を仕入れていなかった参拝者の多数から〝気が付かなかった〟と評される残念なところがある。因みに私もその一人である。

由緒書きを読むに往古には科戸(しなと)明神とも呼ばれ、創建は不詳であるが天智天皇4(665)年に右大臣中臣金連勅により風神である志那都彦神を鎮祭し、意布伎神と尊崇したに創まると社伝には書かれている。中臣金連と言えば大津に都があった折に天智天皇の重臣として活躍した人物である。もっとも天智天皇亡き後は子の大友皇子に仕えていたが、壬申の乱で敗れ、大友皇子が自害した後に大海人皇子に捕えられ殺害されている。

神社の由来からは天智天皇や近江朝廷所縁のものかと思いきや、境内にある大藤に関しては天武帝の除病延命仏法興隆を祈念して藤が供えられたことに始まるとされている。天智・天武両帝所縁の神社だとすれば筋道が通るにしても、史実と比較すると矛盾が生じてしまう。また現在境内に植わっている大藤は樹齢500年と伝わっているそうだが、1000年もの間の空白期間ができてしまうことに触れられているものは記されていなかった。

ここまで矛盾があると、主張される〝旧意布伎神社〟というものからは最も当てはまらないもののように思えてならない。

大藤も立派に咲いてはいるのだが、なんせ住宅と接している場所柄〝生活感〟が漂っているようにしか見えない。勿論それはそれで惣社神社の良さとして挙げれば良いと思うのだが、こじつけに歴史を付けていることが残念に思えた。

施設の満足度

5.0

利用した際の同行者:
一人旅
アクセス:
5.0
草津駅からバスと歩いて20分。
人混みの少なさ:
5.0
貸し切り状態であった。
バリアフリー:
4.0
石畳の部分もあるがほとんどが砂利と土である。
見ごたえ:
5.0
大藤は素晴らしい花を咲かせていた。

クチコミ投稿日:2021/05/05

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