推定樹齢が600年以上の樹木です!
- 4.0
- 旅行時期:2020/11(約4年前)
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by hiroさん(男性)
目白 クチコミ:17件
『雑司ヶ谷鬼子母神のイチョウ』は、現在の豊島区雑司ヶ谷3丁目に位置する「鬼子母神像」を祀る「鬼子母神堂(きしもじんどう)」の境内(豊島区南池袋3丁目に位置する日蓮宗「威光山 法明寺」の飛地境内)に生育する推定樹齢が600年以上、樹高が約30メートル、幹周が約8メートルの巨大な樹木です。
東京都内に現存するイチョウの中では、港区元麻布1丁目に位置する「麻布山 善福寺」のイチョウに次ぐ巨木とされており、1956年(昭和31年)に東京都の「天然記念物」に指定されたほか、2018年(平成29年)に豊島区の「景観重要樹木」第1号にも指定されています。
ちなみに『雑司ヶ谷鬼子母神のイチョウ』が生育する「鬼子母神堂」は、室町時代後期(戦国時代)となる1561年(永禄4年)に現在の文京区目白台付近の畑(清土の地)から出土した「鬼子母神像」を現在の「法明寺」内の一寺院であった「東陽坊」(後に「大行院」と改称)の一画に祀ったのがはじまりとされ、その後の安土桃山時代となる1578年(天正6年)に村人により草堂が建立されたと伝えられています。
『雑司ヶ谷鬼子母神のイチョウ』については、「鬼子母神堂」で祀られている「鬼子母神像」が出土される以前の室町時代前期となる室町幕府第3代将軍「足利義満」・第4代将軍「足利義持」・第5代将軍「足利義量」の時代となる「応永年間」(1394年から1428年)に僧侶によって植樹されられたと伝えられています。
また、江戸時代前期の徳川幕府第3代将軍「徳川家光」の時代となる1625年(寛永2年)に現在の「鬼子母神堂」の本殿部分が建立され、徳川幕府第5代将軍「徳川綱吉」の時代である1700年(元禄13年)に本殿とつながる拝殿と相の間(幣殿)が増築されており、「鬼子母神像」が「安産・子育の守り神」として江戸庶民から武家まで多くの信仰を集めるとともに「子授けイチョウ」として『雑司ヶ谷鬼子母神のイチョウ』に抱き着くと子宝に恵まれる「鬼子母神堂」の御神木とされたいました。
今回は、10月と11月の2回に渡り平日の午後に東京メトロ・副都心線「雑司ヶ谷駅」から池袋方面に徒歩で向かう機会があり、その途中で「鬼子母神堂」に立ち寄りました。
「雑司ヶ谷駅」1番出入口から「鬼子母神大門」を通り5分程度(およそ350メートル)の場所に位置する「鬼子母神堂」の周辺は、『雑司ヶ谷鬼子母神のイチョウ』のほかに「鬼子母神大門」から約100メートルの区間に推定樹齢が400年以上の樹木が含まれるケヤキ並木が続き1940年(昭和15年)に東京都の「天然記念物」に指定された「鬼子母神大門のケヤキ並木」など樹木に囲まれた静かな住宅街の中に広がる癒しのエリアとなっています。
現在の『雑司ヶ谷鬼子母神のイチョウ』周囲は、柵で囲われているため樹木に直接触れることがでませんが、太い幹が真っすぐ空に向かって伸びるその大きさには圧倒されます。
立ち寄った際は、紅葉のピーク前でしたがこのイチョウは雄株であり実をつけることがありませんので、銀杏の実特有の臭い匂いがありません。
境内はひっそりとしていましたが地元の人と思われる方々などの参拝者が入れ替わり訪れていました。また、樹木に囲まれているので夏場の夕涼み場所としても最適だと思います。
機会があれば、雑司ヶ谷周辺を訪れた際にまた立ち寄りたいと思います・・・
そのほかに本殿と拝殿・相の間(幣殿)とで異なる特徴を持つ江戸時代の建造物であることから歴史的・意匠的に価値が高いという点が評価され2016年(平成28年)に国の「重要文化財」に指定された「鬼子母神堂」は、見どころとしてお勧めできます。
- 施設の満足度
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4.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 京メトロ副都心線・雑司ヶ谷駅1番出入口から徒歩5分程度です。
- 景観:
- 4.0
- 東京都天然記念物および豊島区景観重要樹木(第1号)に指定されています。
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 地元の方と思われる人方々の参拝者が入れ替わり訪れていました。
- バリアフリー:
- 4.0
- 境内は平坦ですが、鬼子母神堂に参拝する際は段差があります。
クチコミ投稿日:2021/02/28
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