東京の三大銅像のひとつに数えられています!
- 3.5
- 旅行時期:2020/12(約5年前)
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by hiroさん(男性)
丸の内・大手町・八重洲 クチコミ:9件
『楠木正成銅像』は、皇居の前庭となる皇居前広場を中心に「国民公園」として1949年(昭和24年)に開放された「皇居外苑」南東側の一角に「二重橋」を正面に見据えるように設置されている銅像本体高さ約4メートル(台座を含めた高さ約8メートル)・銅像本体重量が約6.7トンの騎馬像です。
『楠木正成』の出自については不祥ですが、「河内国」(現在の大阪府南河内郡千早赤阪村)が生誕地とされ、鎌倉時代末期から南北朝時代の激動期に「後醍醐天皇」に奉じて鎌倉幕府討伐から南朝側の忠臣として貢献し、日本史上屈指の忠臣として名高い武将のひとりです。
「皇居外苑」に建つ騎馬像は、1331年(元弘元年)の「元弘の乱」で鎌倉幕府に大敗し日本海に浮かぶ「隠岐の国」(現在の島根県隠岐郡)に島流しとなっていた「後醍醐天皇」が1333年(元弘3年)に「隠岐の国」から脱出してきたところを兵庫の道筋でお迎えした『楠木正成』の勇姿をかたどったものとされています。
この『楠木正成銅像』の制作については、徳川幕府第5代将軍「徳川綱吉」の時代である1690年(元禄3年)に現在の愛媛県新居浜市の南側に位置する赤石山系の旧・別子山村に良好な鉱脈があることわかり、その翌年に「住友財閥」の大躍進の礎となる「別子銅山」の採鉱を開始されてから開坑200年を迎えた1891年(明治23年)に住友家が記念事業として「東京美術学校」(現在の東京藝術大学)に依頼したもので、「別子銅山」で採鉱された銅を用いて10年の歳月を費やし1901年(明治33年)に完成したのち宮内庁へ献納されています。
ちなみに「別子銅山」は1973年(昭和48年)に閉山していますが、江戸時代から昭和の時代までの282年間に採鉱された銅の総重量が約65万トンといわれ、坑道の深さが日本国内では人間が到達した最深部とされる海抜マイナス1,000メートルに達しているほか坑道の総延長が約700キロメートルにもおよぶ世界でも有数の銅鉱山でした。
そのほか『楠木正成銅像』は、日本初の西洋式銅像として1893年(明治26年)に制作され「靖国神社」境内にある「大村益次郎銅像」ならびに1898年(明治31年)に制作され「上野恩賜公園」にある「西郷隆盛銅像」とともに「東京の三大銅像」と称されています。
今回は、平日に有楽町周辺を訪れた際の日没まもない夕方でしたが「皇居外苑」に立ち寄りました。
東京メトロ・千代田線「二重橋前駅」B6出入口のある「馬場先門交差点」から徒歩3分程度(およそ300メートル)に位置しますが、『楠木正成銅像』周辺を歩いている人はほとんどいませんでした。
10年の歳月を費やして制作された甲冑を纏い凛々しい表情の躍動感のある精密な騎馬像を目の当たりにするとその大きさに圧倒されました。
機会があれば、『楠木正成銅像』のほかにクロマツが点在し開放的な芝生が広がる「皇居外苑」を散策してみたいと思います・・・
- 施設の満足度
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3.5
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 東京メトロ千代田線・二重橋前駅B6出入口から徒歩3分程度です。
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 平日の日没まもない夕方でしたが、ほとんど人はいませんでした。
- バリアフリー:
- 4.0
- 銅像の周囲は広く段差も無く、ぐるりと一周できます。
- 見ごたえ:
- 4.0
- 高さ約4メートルの甲冑を纏い凛々しい表情の躍動感のある精密な騎馬像です。
クチコミ投稿日:2021/02/14
いいね!:3票
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